ルーズリーフ

ひとりごとを書いています

「これきりだけ」と三輪

この木なんの木気になるトゥリー

絶望の丘、Sink、ガーベラ、メランコリック

まず、豚様が歌詞を読み込むなり聴き込むなりして覚えたという事実がもうすでにありがたい…嬉しくってプラさんに行くようなお洋服を引っ張り出して着ていった。

まさか豚様の歌うメランコリックで折りたたみをする日が来るとは思わなかった…「分かる奴が先導してやれ!」と仰っていたけど周辺で手を挙げている人達が先導するタイプには見えなかったのでちょっとにやにやしてしまった、そうだよねえプラを聴くような人達だもの

煽りはわたしはああいう竜太郎さんに沸いてしまう人間なのでうれしかった…

見に行ったお話はブログで読んでいたので実際に少し聞けてよかった(インスピレーションを受けて天井から「ししゃも」をつるした話)。共通点があってよかったです。だけども世界観も近しいときもあったりして、空白の日や1999や最終列車なんかも豚様ぽいなあと思うときがある、他のバンドを聴きながら考えるなよって話ですが…そりゃあ違うことには違うのだけど、「目覚めたら君が好きな全てで世界が変わっているから」というやさしさと「そんなことは絶対起こらないですけどね」というやさしさと

「日に向かう花になれる気がして」「別に嘘でもいい。そんな気でいよう」十川さんと繋げてガーベラを選んでくださった(お花の曲を選ばれてから十川さんに盛り込んでくださった?)のも良かった。歌詞も、これは意図的に重ねていらっしゃるように思います。本当にありがたい。

sinkやガーベラで手を伸ばす豚様は完全に竜太郎さんのそれでそういうように豚様の歌を聴けるなんて思っていなかったので不思議な感覚がした(遠足の曲でもじっとして手を伸ばすように聴きたい曲がたくさんあるので)

竜太郎さん竜太郎さんゆうておりますがアキラさんも職人みたいでとても好きです(アキラさんは以前やじを飛ばし続けてしまうファンへ対しての言葉がとても良かった。怒る訳ではなく、あのね、それでねと落ち着いてそのままを伝えていて良かった)ケンケンさんも正さんもとても素敵なので、えっと、忘れないであげてください…!

 

十川十三の三花坊主

11日にお別れをして、12日に刻み込んだような気持ちだった。前回はちゃんとお別れできなかったから、行けてよかった。新曲はとてもやさしい曲だった。3回だけのために音源化しない曲を書いてくださったことが本当に嬉しい。なんで2回しか聴けないんだろうって(単純に)すごくかなしくなってしまった

忘れたくなくて、音楽を聴かずに頭の中で何度も繰り返しながら帰った、まだちゃんと憶えています。ガーベラを聴き込んでから書いてくださったのかなと思う。僕を忘れるでしょうのあたりを本当にやさしく歌っていらしたのが印象的だった

それから花唄…!皆がモー娘。とかを聴いてる中、花唄だけは賑やかなのに好きだったからても嬉しかった。また“豚様が””十川十三として““あのような歌い方で“歌うので本当に良くて、とても幸せな時間だった

11日はとても良かったけど、曲順に関しては12日が11日のものだったらかなしかったんだろうなあとは思う

 

十川十三について

よくないとは思いながらも十川さんのことが好きだった。ぐちゃぐちゃでぐるぐるな日がなんかいっぱいあって、それまで縋るように“そういうもの”が豚様の中にあると思って聴いていたので、濃度高く仄暗いものを歌って下さったことは本当に救いで、それこそのめり込んでしまってあっという間に「私の歌」にして反癪してしまっていたと思う。本当に良くない。

本当はだから「暗い」とか「十川の歌は好きじゃない」とか仰るたびに心臓がえぐられる気持ちだったのだけどでもちゃんと豚様の言うことも分かってはいて…つい俯いて何も見えなくなってしまいがちだけれど、私が行きたいのは“そっち”なので、ちゃんと「本活動の豚様」についていけるように頑張りたいと思った

私にとっての十川さんはちょうど冬のこたつやお布団と同じことなのだと思います。外へ出るのが億劫になって、居心地が良くて出れなくなって、だけどもずっとこたつやお布団の中にいることなんて出来ないから切り離して笑えるようにしなくてはいけないのだなーと思う。

それの後押しをしてくださるような、でも無理やりではなくて、ちょうど花の香りのようにふんわりと穏やかな気持ちになれるような、三花坊主の曲や歌詞にぐわあとなって、駄目だ駄目だと思いながらもやっぱり泣くことしか出来なかった

私は例えばアリスとかマッケンローもそういうことかなと思うのだけど笑えるときにはなるべく笑うべきで、暗くなってる場合じゃなくて、だけどそうできない人のための歌を豚様がこれからも歌ってくださるのできっとこれからも大丈夫だと思う。最後に刻んでくださったことはよかった

記憶の中の十川さんに甘えて「私かわいそう」をしていきていくことは簡単だと思うけどそうしたい訳ではないので、無理やりでも笑えるように春を待ちたい。(活動再開のこととか籠女へのこととか、考えながら歌詞を見返すと本当に…)

張りつめたというのかそこまで思い詰めていた訳ではないのだけど活動休止ですがるものが目の前にはない期間に十川さんが帰ってきてくれたことはありがたいことだった

豚様は豚様でしたが、完璧な十川十三をされていたら(はにかみながら首を傾げられていたりそういうことがなければ)帰って来れなかったと思う。豚様は“こちら側”の人間ではなくて、それは良いことで、たぶんだから好きになったと思う。雑に弾いたり嫌悪するのではなくてこっちおいでってしていてくれるから私も行きたい、ってなるんでした

これを書きながらも何度も視界は歪んでしまうけど豚様が消えていなくなってしまう訳ではないので…春がきたらまた本活動で笑えるようにこの冬のうちはたまに十川さんのことを考えながらでも日常をなんとか耐えてやっていこうと思う

十川さんとお写真が撮れることは後にも先にもこれだけなので行ったけど待ち時間とか撮影とかふわふわとしてしまったしまた私の問題でかなしくなった。馬鹿を晒しに行ってるみたいで嫌だなあと思った、日常でも買い物をしてお釣りだけを受け取って帰ろうとしてしまうような人間なのでこういったことは本当は向かないのだと思う。そんなものだと受け入れて意識がどこかへ行ってしまうのを繋ぎ止めなければと思う。

 

次の日が13月の13日だったから、2日間のことをいっぱい考えた。まだ忘れたくないな。

何か輝く暗闇

ほっとしたくてほっとしたときのことを考える

お芝居をするのがすきだった。特に高校の部活はよかった。毎日ある程度折り合いがつくまで考えて、毎日そんな時間がたくさんあった

時間がなくなることを知っていたから時間を無駄に使いました。あとどうせしぬのだしとか…

 

お芝居の好きなところは気持ちがどれだけ強くても一方的でも冷静に客観的に観てもらえるところ、しつこさが許されるところ。

拘ってても誰も何も気にしてなかったりとか、たまにすごい気づいてくれる人がいたりとか、自分が意図していなかったところまで深読みしてもらえたりだとか。

 

勝手にやって勝手に受け取ってもらえるのがよかった

あとは見せる部分を切り取れないし、どちらも面とか視線とかを意識しているところが

一度だけ、カーテンコールに行く前に照明が落ちていく中ふわ〜と自然発生した拍手を浴びたのはとても心地が良かった。弱めのシャワーみたいにやさしかった

ホットミルクを飲んでいるときみたいにリラックスして余計なことを何も考えなくてよかった。

暗闇に光る何かを観た。

ギリギリまでスピードを落として落ちて行く夕方の照明と、自分の着ているサテンの緑と、お人形の黄色やオレンジと、人形劇の背景の緞帳みたいな板のビロードのワインレッドと、視界の隅にたくさん色があってきれいだった

嫌なことを考える隙がなかった。架空の世界のことだけ考えていていいような気がした。

 

私には時間が足りない、いくらあっても足りない。どうしても変なことになってしまうのは、時間の感覚が人と違うからなのだと思う。

なんとか考えなきゃいけないと思ってるうちに言葉を話すと頭が真っ白になる。まあもとからからっぽなのですけど…

たくさん考えることが好きだったのにたくさん考えることで折り合いをつけて安心して世界と向き合っていたのにそれをしていると上手くいきれないから手放した

かと言って上手にいきれる訳でもなく毎日が本当虚しい

 

さっきまで酒臭い電車の中でしにそうになりながら考えていたことでした。

小鳥の前頭前野

あの“「高校を卒業するまで」となんとかやり過ごしている自分”に逆戻りしてしまったなあと思う

社会に出ることは困難だけどアルバイトとかで暮らして行くのは許してもらえないだろうから猶予期間が終わる前にしのうしのうと思っていたのに、お仕事をして人と話せたり話せなかったりしながら毎日がふわふわと流れて行く

暇潰しの様で、だけど時間が無限にある感じがしてとてもこわい。いつまで続くのかなって思っちゃう。休日は気付くと夕方です

映画とかは時間が無限に感じる方が好き。「自由に使える時間がこんなにあったね」ってほっとする

こんなにあったね、をするために私は隙間をついても出来るだけ逃げ出す。普段は負けているフリをしていても、それが私のハルマゲドンだからです

先日携帯を水没させてしまった。そういえば画面も3年くらいバキバキだった。このようにどうしようもない「終わり」がなければずるずるとしてしまうのが私のわるいところだと思う

一通りやって駄目で、パソコンで調べたらやったら駄目な対処をことごとくコンプリートさせていて笑うしかなかった。ドコモショップに行ったら紛失や盗難があった時も安価で交換出来る保険に入っていたらしい。あーあ

誰かが馬鹿は金が掛かると言っていたけど全くその通りだ

ただ機種変ができたのは?良かった。文章が打ちやすくなった。iphoneの嫌なところはあとはアイコンを自由に置けないところだけどそれはそのままだった

 

先日おじさんと牛タンを食べに行き私の後ろに大変下品に騒いでいるグループがいて、大学生とかかなあとか思っていたら40〜50代くらいの大人だった

おじさんが「人生二周目」と小声で言った

 

あんまり信じない方だけどそういうのがあるとしたら何周目かなあと考えてしまった。私の周数もやっぱり低そうだ

「馬鹿は宇宙船に詰め込みやすい」

この台詞、何気ないものだったとおもうのだけどずっと噛みしめている。ああいう馬鹿も私の馬鹿も馬鹿なことには変わりないのだと思うとやり切れない

 

早く帰ってきて、ペテンが解けちゃうよ

無理して再開してほしいという意味ではなくて、祈るくらいいいよねという軽い気持ちです

救世主と創造神

今日になってしまいました。
なんて中二病なタイトルなんだろう…今日はそういう日です。昨日?今日?は朝までお手紙を書いていました。
不安だけどもちろん何が悪いとかはなくて、どんな気持ちでいたらいいのかちょっと分からない…
目の前のことを受け取っていたいようにいるのが1番かなと思います

最近は感情が忙しく、かなしくなってみたりぼんやりしてみたり変なスイッチ(!)が入ってしまったりしていたのだけどそういうもやもやとしたものをいつも上手に消してくれるのが遠足だなあと思っているので、あまりむつかしいことは考えずにお休み中の分もチャージするくらい楽しんで帰れたらよいなと思います。どうせすぐに足りなくなるのだろうけど。

お休み中はいつものように彼らの曲を聴くのは勿論、あとは映画やお芝居を観たり、転職したりしようかなあ

好きなものたちを細心精読(ぶうさんの言う全部たのしみたい!ってそういうことかなあと思います。あと私が遠足を好きになって色々しっていくとき、マリカーの裏道探してるときみたいだなって思ったのですがそれもそうかなとか)していくと、深く入れこんだことが別のところで活きたりする
私は趣味が深く狭くならぬ「深く点在している」(すっごくすきなものが別ジャンルに数個ある)のでよく感じることです。

こういう話は遠足に一緒に行くお友達(2.5次元とかもお好き)ともするのだけどその中で「こんなに救われるのはここだけなんだよね、戻ってきちゃうんだよね」と話していてわ〜となりました。
目を凝らした人、というか目を凝らしちゃうような人が報われるような、それでいてよくわからなくてもちゃんと楽しめて…
そんなものってやっぱり今のところ彼らしかしらないので、気長に待っていようと思います。なので本当に、無理だけはせず、焦らず…。
だって気長にみたら結論があったならその過程は必要なものだと思うので…一生見れなくなるくらいならいくらだって待ちます。…そういわれてもって感じですね!

昨日は感謝祭のタイムシフトを観ていて、「僕の救いは僕自身で創る今ここにあるホンモノにしかないから必ずすぐに帰ってくる」が本当にかっこよくって嬉しかった
例えば活休が発表されるひとつ前のエリアで12モンスターズが始まる前に「ボクのために」と仰っていたこととか、定期的に「満たされることがない」豚様のことをぼんやり考えるときがあって、そういうときの豚様だなあと思った

私は欠けている方の人間だから有り余っているほうのポッカリと空いた穴についてはきっと理解できなくて…だから豚様に与えられたもので捻じ曲げてただ笑えていたらいいのでしょうけど、満たされなければそうもいかない訳で。
「嘘をついた」とかが苦しくって、豚様は分からないフリをすることが上手いけど普通に出来る人だしそれを選ばずにこうしてることがありがたかったり複雑だったりします。そういう方が(いい意味で)ステージや表現に執着されることはとても嬉しいことです。
色々を重く捉えて「深読み」しちゃってあれなのですが。以前は自分で作るものには救われないと仰っていたからああよかったなと
どこにもないなら作るというようなところがやっぱり好きで、それは今回はアンゴルモアのことだけど、筋少筋少で歌う大槻さん?)のことでもあるなあとこの前ブタえもんを聴きながら考えたりしました。

こうして考えを巡らせて「私の神様」に熱心にお手紙を書けるなら私もまだ大丈夫かもしれないと思えて、私もれっきとした中二病なのかなあと思ってすこし安心した

中二病は自意識を拗らせた人がなるものだから一人ひとりそれぞれが自分自身で自意識を高めていかなきゃいけなくて、だから散り散りになったってたぶん大丈夫
また会えるまで、どうにか笑っていようと思います

忘れたくない日

もう二度とないかもしれない番号だったので半休を取った。なんでもできるね、と言ってあの頃行けなかったレッドロックに初めて行った
入り口が思ったよりシックだった。お店の広さというかスペースの使い方の問題であまり席がなくて、それは、並ぶよ…。おいしくて、あと朝から顔色がしんでいたのだけどお陰で貧血がよくなった
「自分で作れよ!」と緑さんが前に言っていたけど作れなくてごめんなさい。

ハルマゲドンの時には誰かが行列を間違えて人生が変わっちゃったりしたらいいなあなんてたまに考えていたことを思い出した。分からないけど、たぶんそんなことは起こらなかった


その後はガストにいて曲を予想したりした。メガネと終末とダダフィフィが当たった。メガネは、大阪で母をやっていたからです。
実際のセトリはとてもよくて、中でも祈りが報われるようにブタえもんが始まったのがとても嬉しかった。

改造人間はずっと好き。初めて行った日にお披露目だった気がする…振り付けの説明とかを聞いて豚様の動きがすごくきれいだなと思ったのを覚えている。当たり前になってしまうけれど、いつもとてもきれい
(確か惑星ピスタチオがお好きと話されてて納得した)

改造人間とゴリラが好きだから(分かりやすいですね)
自制したつもりではいるけれど私の躁が暴走して危なかった。でも縮こまらずに見ることが出来たのは良かった。それが好きなのに、そうしたいのにそう出来ないのはとてもつらいことです。
イヤモニをずらすとかしゃがむとか、一方踏み出すことのMCだとか、参加することが意味があるように思わせて下さってうれしかった

12は、祈りなんだと思った
お休みが発表される1つ前のエリアで12の前に「ボクの為に」と言ったのを聞いたことを思い出した。(同時にいつだかのブロマガの逆転するという話、自分の歌に救われない豚様が希望を感じる話も思い出した)
思えばそこから最近はよくセトリに入っている気がする

「誰も助けになんて来ない」そんな世界で祈っていた人に「壊しに来たんだ」と実感を持たせるように歌ってくれるのなんて救いでしかない。
その歌があるから安心して待っていられるなと思う

私の問題で、駄目なことが多くてこれから彼らなしで大丈夫だろうかと不安だったから
ちょっとだけ自信が持てた日だった

ただいるだけの人

最寄りの駅によく「立ってるだけ」の人がいる

ぼんやり、道行く人のことを見ているような見ていないような目をしてただ立っているだけなのだけど
ほとんど毎日、同じ場所に立っている。
たまに昼間に渋谷とか新宿とかで見かけることもある
でもたぶん最寄り駅に住んでる人なのだと思う

良くないとは思いつつ私は見かけるとしばらく彼女のことを考えてしまう。見かけなくたって考える日もある

なんのためにとかいつからとか、
きっかけとかはあったのだろうかとか、

こうして誰かに考えていたり覚えていたりしてほしかったのだとしたら私だって同じようなもので
だけどこうして毎日物理上顔を合わせていて考えを巡らせることだってあるのに私とその人が知り合うことはたぶんこれからもないのです

無責任に話し掛ける気はないのだけど
「道行く人よりはあなたのことがわかると思う」とか図々しいことは考えてはいけないよねえ

しゅうまつの話

下書きがたくさん溜まっていくのでかなしい

土日は楽しみにしていたインストだった。2日間のお洋服はまつみさんの私服はこんなのだろうかというのにした

梅雨の時期に向いてなかったり巻いた髪が取れてただのストレートになったりしたんだけども着たいお洋服が着れてよかった
両親がハワイに行ってるから自由にした
(ハワイは2年前行ったけど全然好きになれなくて、1つだけ好きになれた場所が今回取り壊されていると写真が送られてきたのでかなしい)


サインとかはやっぱり緊張したんだけども「よくぞ持ってきましたね!」とギャルのお姉さんに褒めて頂いたのでうれしかった
豚様はお優しかった。あとサインしてほしかった箇所があったものの言えなかったのだけど真っ先にそこにサインをしてくださって大変嬉しかったです
すぐに次に行こうとするのでどうでもいいように感じさせてしまったら申し訳ないなあとなった。本当に全員好きなので…

しんさんがタワレコで刺すようなことを言ったので沸いた(私の中で)
ギャルのお姉さんは渋谷を練り歩いたこと(ツタヤ→タワレコの移動)にテンションが上がっていて、今日はずっとそんな日だった。楽しそうでこちらもとても嬉しかった

始まる前に客席の後ろの方で「ウワ!"変身"してるやつがいっぱい!やべえ」みたいな渋谷の洗礼を横で聞いてしまった
覚えてろよと思いました。一生関わることもバンド名を知ることとかがなくても覚えてろよと思うことだけで十分だったのでそうしました

タワレコがすごく「よそ行き」だったからロフトAでほっとした。ロフトAのエーはYADAのエー

前日の自主盤で楽しいとこもいっぱいあったけど背中が冷たくなることもあったので不安だったけれどもこの日はよかった、たのしかった。

みどささん書いてるときからうしろ書いてるなって思った。ギャルのお姉さんがうひゃひゃとひっくり返ってた
ケンタウロスなのにサスペンダー
あの絵は本当に欲しかった!

しんさんは赤ワインがすごくよく似合っていた
生きるスピードが人と違くていいなあとなった。せっかちでマイペース

伝説な方は緑さんとか豚様とか誰かが素敵なことを言うたびに真っ先に拍手をするのがやっぱり好き
矢田さんのモノマネすごく似てた…!
 
当たるものはなにもないのに抽選だけやるのすごくよかった…楽しい。すごい。

私が先頭もよかった。「ついて来いって感じです!」
あれなんなんだろうねといいつつバンギャルの気持ちをすごくよく分かってるように思った
あと「いれなくてもいい」のにわざわざ見せられないものが入ってるのこわくないですか、好きです

豚様は最後にCDを飾りながら聴いたりとかアルバムの曲順で聴いたりとかいう楽しみ方もしてくれたらうれしいとおっしゃっていた


最近はなにに対しても雑になってるのが自分でも分かるのでもうちょっと大事にしたい。大事にしたいと思えたことだけでいいので…
明日のニコ生もとても楽しみ。嫌なことはなくならないけど「ずっと嫌なままじゃないよー!」って高円寺で豚様が言ってた

親切な人が教えてくれた

少し前の日記です

今日はおじさんとenskを観ました。
なんで今日にしたんだろうと思うけどずっと持ち越していたからよかった
おじさんと言っても多分彼らと同じ歳くらいなのではないかなあ

高校の地下でわるい大人というのに私は初めて会った
地下で使える電圧を上げちゃおうぜとかプロジェクターを吊るしたいからドリルで天井に穴を開けちゃおうぜとかそういう人だった
「誰も困らないし誰も気付いちゃいないよ」

おじさんはガハハと笑い飛ばす人だったけど細かさに気付く人で、一緒にいるといつもモヤモヤが軽くなった

それから器用な人できっとなんでも出来ちゃうんだけど、会社に入って成功することとかを選ばなかった

人と生きるスピードが違うというのをおじさんに指摘されて初めて自覚した。(間違えちゃうかもというのは常に思っていたけど、それまで図々しくも遅いとは思ってなかった)

私はおじさんにわさおというアダ名を付けられた
素朴な顔をしてどんくさいからなのだという。いつも「わさ、わさ」と呼んでくる。初めは「ごめん泣かない?」とよく言われたけど私は泣かなかったし怒りもしなかったし結構気に入っていた
こんな風だからからかわれたり名前を文字って例えばキモ川とか呼ばれたりすることは小さい頃よくあったけど、からかわれて嬉しくなるのは初めてのことだった

7日間戦争にいったとき、世界がひっくり返ったと同時におじさんのことを思い出していたのだった


今日、鶏よしのカウンターで苦手だと伝えた白子を頼んで(一応同意の上で)食べさせられ、やっぱりだめだと思っていたらその顔が見たかった!と笑い転げていておじさんの背中を叩いた。それからやっぱり笑っちゃった

あなたに合わせますよ、でもボーカルの彼がまだ出てくるんでしょう?、いいもん見せてもらいましたよ
などとそれまで驚く程に紳士的だったものだから安心した


「良いと思ったら物販でCDを買って下さい」、
これが言えるのがすごくいいと言っていた。豚様についてなんか色々拾っていてうれしかった
「ああやって言うけどつまりはそうでもないってことだろ」とか言って子供の目もしていた

あとはパンクな所がいい!と言っていて、ドラムが上手いというのとベースやギターの上手い下手が「いい意味で」分からなかったって
色々をさして、振り切るっていいよなあって言ってた
ラッパ、本物でもなくかけ離れた色のプラスチックでもないあのおもちゃなのがいいよね!というので当時はキューピッドのような衣装であれをやっていたと伝えるとしばらくツボに入っていた

感想をもらしてはなんか色々考えちゃうなって言っていて、私が色々考えちゃうときはだいたい良かったときだからすごくすごくうれしかった
少し黙っては…また考えちゃうな!って困ったように笑っていて私はにやにやしながら手羽先を食べた

わたしはひたすらに分かるなあとしか思えなくてそういう自発的な感想とかを持ってきちんと向き合いたいよなあと思った。私は救われていますだけじゃ柵の中でぼーっと生きてる家畜なんだよねえ
おじさんがそんなつまらない私を定期的に誘ってくれるのでうれしいなあと思う

一緒にやっていかないかきかれたときに不器用な私が不安定な世界に飛び込むのはこわいと言ってしまったことがある
言った瞬間私は真剣にやっている人に本当に失礼なことを言ったと思った。怒られるだとかつまらない人間だと見放されてしまうとか思った
でも「ああ、そっちが正しいんだろうなあ」と困った顔で笑ったのを覚えている

何かの流れから、本気で信じて真面目にやってるようにはみえなかったから呪縛をどうしたら解けるか考えてたと言われた

わさこっちおいでと今日も言っていた。社会科見学はもう済んだよだって
私はなんかにこーってしておいた
それしか出来なかった

おじさんは「楽しくやっていたのにみんな戻っていっちゃうんだよなあ」と困ったように言っていた

私の神様

昨日母がひとしきり父への文句を口にしたあとで、
「離婚したいとか思ってパパのいない生活を描くけどでもさ、私がいなかったらきっとみんなパパと上手くやれるのよ。私がいないほうが上手く回るのよ。私がいるから駄目なんじゃないかって思うの。私がガンなんじゃないかって思ってきた」と言った

私はそうじゃないよって口では言うんだけどもやもやとした。よくないとこって誰にでも私にもあるから
だったら、とも思うけど言っても無駄なことはもう口にしない

そのあとはぐるぐるしちゃっていっぱい小言を言われもうこれ母にも止められないんだなーと思った。こうなんでしょ、ああなんでしょって私が考えつかなかったことまで母の中では辻褄が合っている様子だった
そういうとき何もする気が起きなくて、しばらくぼーっとしてすこし回復したのでリビングに行くと母が明るかった。

私は地下に思考を飛ばしているけど、ちゃんと現実で過ごさなくちゃいけない。そこだけ切り離せ、ってずっと思ってたんだけどそうもいかないよね(できる人は是非してください)
世界は隙間をつけるほど簡単じゃない。人間は漫画やゲームに出てくるほど単純じゃないし複雑で面倒くさくて全部やめたくなる。「他に解法がない」、初めからそうするしかないのですよ

だけど豚様の歌は聴いてたい
しんだらそれすらなくなるから大丈夫なのにそれを捨てれないってことはまだいきることが前提だからまだ大丈夫だって気付く
ずっと楽しみにしていた曲が発売されてそればかり聴いている。発売日が決まった時点で自分の指標にしたいと思っていたからこのような歌詞ですごくうれしかった

7日間の豚様はやっぱり強くて、諦めたようなところがすごく好きだったのでさみしいけれども、想像を現実にしようとする豚様も好きだから頑張ってついて行きたいと思ったのでした。
膝や首周りは私はショッキングだった。受け入れられない…と言ったらなんで?ってきかれてしまった

土曜日はおにくを食べながら重い話をした。楽しいものはたくさんあっていろいろ観に行くんだけど気持ち的に救いをくれるのはここだけだから戻ってきちゃうんだよね、と言っていてとてもうれしかった。
あと、就活の前のメッセージでみんな頑張れ!とか楽しいことが待ってるよ!って言葉をくれたけどじょえさんだけが仕事につけなくても待ってるよ!だったこととかを話した。暗さを外側からじゃなく理解しているよねって

最終日はそれを引きずってか暗い話を終電くらいまでした。楽しかったから楽しい話もしたんだけど、
私より朝がはやいのに帰ろうかと切り出したのは私の方だった。帰りたくない様子だった。帰ったら現実になっちゃうって言っていた。みんな色々ある

楽しかったから頑張ろうじゃないんだよね、先の楽しいがないと頑張れないんだよねって別れた
先の楽しいが減ったり増えたりするから不安定だけどそれに行けば笑えるってすごく心強いことだから多分大丈夫だと思う。難しいことはよくわからないけど、いつ行っても楽しいをずっと作っていて下さいと思いました。

昨日つらくなって、(地上だけど)地下でそういう「お祈り」をしたことを思い出した。祈りが届いて叶えられているのが地下だからそこに「ずっといる」方がいることもまた救いです。
そういうことでも大丈夫でいれるので私はとても単純に出来ています

「全然ダメじゃん」
ふいに低く呟かれると本当に申し訳なくなる

素直な人なんだと思う。数分後には会話をするし、初めてのことばかりで出来なくて当然だから大丈夫だよと言うことも言ってくれる。

そういう言葉をそのまま受け取っていてはいけないんだって自分に強く念を押す。そうなると手が震えて声が出なくなる。泣きたくはならない。つらい訳ではなく、焦って焦ってどうしようもなくなる。

「落ち着いて。大丈夫!」
これも私が焦って更にミスをしないための言葉であって(嫌味などではなく、本当にそうなのだと思う)
落ち着くことも出来ないし大丈夫にならない。

出来なくてごめんなさいというのと
次はちゃんとしなきゃというのと
私は何かを成し遂げられるなんてことは思っていない。
たぶん人並みにもなれない
他人に掛ける迷惑を最小限に留めなくてはと思う

夢や希望を持てるってすごいことだなあと思う
そういう人が社会を作っていくかもしれないし、経済を動かしていくかもしれない?し、(よく分からないことテキトーに言ってしまった)
それはそれでいいと思う。私には出来なかったなあという

全てにおいて悪い可能性しか考えられなくて
私はすごく不器用だから全部上手く行かないんじゃって
例えばなんか次の瞬間怪我とか下手したらしんじゃうかも、とか

赤信号なんて滅多に渡れない
渡れる人は渡って良いと思う。上手くやれるのなら
カクカクと上手く走れないから馬鹿みたいにじっと待つ
毎日信号が近くにないバス停で降りて、商店の方から畑の方になかなか渡れない
しんじゃってもいいけど、たまたまでもうれしかった曲を聴くまでいきてたいな
そんなふうにして惰性で、というか何かと理由をつけていうまでも過ごしちゃう

豚様は希望的観測が強くて、私には無理があるけど考えなくていいときはいいよねと思って、ずっと聞いてたい

いつかの豚様の例え話の「転んだときにお金が落ちてる」なんてそんなことは現実にはそうないのですよ
それでもそうだったらいいものなのかもしれないなあってぼんやり思ってる。ペテンでもいいよ

もうすぐまたバス停に着く。このバスはもう8年くらい使っている
お家に帰りたくない、本当に帰りたくない

外の方がいいというのは「他人だから」なのかもしれないけど、家の中であっても「他人は他人」なのになあ

赤い目

携帯を取られて、CDデッキを取られて、DSiを取られて、本を読んでた。分からなかった本を読んだのだけどやっぱり分からなくてでも少し分かる気がした。
どうしても曲が聴きたくて、それでポータブルCDプレイヤーを買えばいいじゃんと思った。出掛けるのが面倒なのでしなかった
抜け道がそこにあるだけで十分だなあと思った
いくらでも、そうやってすり抜けることはできるのに

心から謝れとか根本を変えろとかそういうことを強要してくる。分かり合える気がしない。そういうときしぬしかない気がしてくる

「遠くへ行こうとも追いかけて来る月」
負けたフリをしていても絶対負けないからね、って頭の中でずっと考えてる。たまに抜け出して泣きつきに行くよ。

そうやってしか必要と出来ないから、
私は今日もかっこよくなれない

オヤスミの歌をオハヨウの君へ

横の髪を切ろうと考えている。中学生のときからずっとそうだったから、やはりないと落ち着かない。(触覚とか姫カットとか色々な言い方があるけれど、ずっと横の髪という認識です)
腰まで髪を伸ばして前髪と横の髪は切り揃えて、毎月毎月高田馬場に向かったこととか、やっぱり思い入れがある。

耳に掛けたり隠すことはするとは思う、でも指標というか安心出来る何かをもっていたい


さいきん勝手に人に点数を付けられて順位を告げられ、やはりというか当たり前に最下位だったけれども、なんとか上手くやっていくしかないのだと思う

洋食屋さんでハンバーグを食べながらどうして泣かないのとかなんでそんなに強いのとか訊かれたので、どちらもそんなこともないのだけどと思いながら諦めてるからかもしれないと答えておいた
だってやらなきゃいけないしやらないとお金もらえないし、私がいれるところなんてすごく限られていると思うんだ、いれるところでなんとかやっていかないと、上手くやらないと
だから今日も大丈夫だけど今イヤフォンが断線してとても不快なのでしにそう

世界が土砂降りの雨だろうと


少しお話をしたのでいつもより緊張がとけた状態でトークを聞けた。ただ雨だったせいか私はふわふわとしていて、壇上もふわふわしていたように思って、そのまま終わってしまった。

そのまま帰るのが名残惜しくて電話をしたらいいよと言われたのでそんなもんかと拍子抜けした。(勘違いをされていたようで帰ったら色々言われたけれども、もう行ってしまったしなあと思った)
クレソンのハンバーガーがあったので食べた。パンなしがあったのでありがたかった(パンが得意ではない)

自主盤に着いて傘を畳んでいたら店員のお兄さんが傘袋を広げて待って下さっていて、申し訳ない気持ちで傘を入れた。気を付けたけど手に水が付かなかったか心配だ
自主盤は店員さんがお優しいのでいつもとても行きやすい

やはり自主盤の方が聞きに来てよかったなと思えたのでよかったです。
印象に残っているのは最後の質問で、どちらも分かるからうーんとなる。ただ誰かが楽しませてくれるとか思っている人の質問ではないように私は思ったのでそうなっちゃうのはなんだかかなしかった

全曲やって下さるお話はうれしかった。たまに行けたGロッソとかで一気に聴けたのがとてもありがたいなあと思うので
これ買わずに出て行きづらいな?と思ったけれども、チェキは購入せずにお店を出た。


いやなことを言ってしまわなかったか不安になった
またそういうとき黙ってしまうから駄目だなと思った

明日世界が終わっても大丈夫


きっと泣いたりするだろうなと思っていたのに
違う世界の話というか人ごとみたいに毎日をこなしていて、同期の女の子たちが泣いたりしているのを見てそこでじわじわかなしくなったりする。なんで真面目に考えちゃう人がそういうことになっちゃう世界なんだろうか

私はたぶんこれを日常として捉えられていないくて、今だけだよ今だけだよとただ瞬間をこなすだけで、それがすべてだとは思っていない。たまに後ろめたさみたいなものも感じる。
これは強い強い私のヒーローに切り離してもらったからなのだろうか。

普通に(普通を装って)生きれる魔法がずっとほしかったけど、これは叶ったと言えるのだろうか。ぼんやりと、ペテンなんかじゃなかったと豚様にお伝えしたいような気持ちがする。そんな気持ちがするけれども「これはペテンなんかじゃない」と歌っているのは豚様なので、別に不要かと思う。

あと、まあ色々なひとはいるけれども集団での暗黙のルールというか、だいたいの空気があって(私のいる会社は人数が多くないことも関係しているような気もする)あとマナー?みたいなもので共通認識されていて、

何で怒られていたか分からなくなることがあまりないし
理不尽というものをあまり感じなくて、
理にかなったことを遂行すれば良いし出来ないならそれはただ自分のせいであるだけだし、なんだかすごく気が楽。

みんな何を言ったって、教えていただいたように仕事は「手段」なんだと思う。

家にいるとき感じる理不尽さとかがないのは他人であるからなんだなあと思う。家族でも他人は他人なのだけど
それもまあ大丈夫で、行けたときに楽しむだけだし間が空いてもそっちを日常にしてしまえばいいとか思ってしまっている
(ぅゅにさんはちゃんとライブを非日常としているからえらいと思います)


あとは「ノリのいい」人たちであるから染まれなくてごめんなさいという感情なのだけどみんなとてもお優しい
思っているより世界は大丈夫なのである
それを知っているから、目の前のことに焦りながらもなんとかしていられる
(大きな失敗とかってこれから絶対あるだろうから油断大敵ではあるのだけど)

するべきことをしようというだけでそこに感情はあまりなくて、なんだか明日も大丈夫な気がする。

まきちゃんの話



(去年の4月28日に書いて下書きに眠っていたもの。昨日のトークで思い出したので)



まきちゃんというお友達がいる。

高校の時の話。それまで人見知りではあるもののそれなりに生きていた。しかし高2のクラス替え後、知っている人は男の子が一人いるだけだった。まきちゃんも知らないクラスメートの一人だった

SNSで繋がっているようだった。mixyってなに、ラインってなに。

初日の身体測定で、ある女の子Aちゃんと初めてお話をした。気が合ったようで、おもしろくて黙る隙もないくらいずっと喋っていた。私もとてもとても甘かったのだけど、これからAちゃんやAちゃんの知り合いとお話をしてなんとなく溶け込んで高校2年生を始められるものなのかなあと思っていた。

だんだんと、Aちゃんには3人の友達がいるのだなあと分かった。4人は同じ吹奏楽部で、とにかく厳しい部活動をめまぐるしくこなしていた。


なかよくなれたらいいなあと思っていたのだけど、その中のBちゃんがいつもAちゃんにべったりで、Bちゃんにも話しかけてみようにも、いつもあからさまに私に背を向けていた。Aちゃんは申し訳なさそうな顔もしていたけど、Bちゃんに連れられていくしか出来なかった。仕方が無いことだなあと思った
Cちゃんは見て見ぬふりを貫いた。もう一人の子はそんな3人について行きながらもたまに「気にしなくていいよ」と私に囁くことがあった。それがまきちゃんだった。


あくまで推測だけれども4人で出来ていた聖域に私が踏み込んだことで
BちゃんはAちゃんを取られてしまう不安を感じている
AちゃんはBちゃんと私との間で板挟みのような気持ちになっている
Cちゃんはなんか気まずいから早く何とかならないかなあと思っている
まきちゃんは私をスルーすることもつらい
という状況になっているのでは、ということを考えた。
私はそれを無視してまでそこにいたいと思わなかった。


私はお話をしたい子とお話をしたかっただけだったので、このグループに馴染めなかったから次のグループへだとかは考えなかった。
別に一人でいいなあと思った。こうしてクラス替えから一週間後には一人で過ごす構図になっていた。これから二年間。大丈夫だったし、とにかく大丈夫だった

春の遠足も黙々と山に登りお弁当を食べ、下った。ただ、バスが学校につき解散をしてトイレの個室に入ったからしばらく声を殺して泣いた。次こうして緩んでしまったらもう学校には行けなくなると思った。それで毎日毎日学校に行った。もう泣くことはなかった

みんな程よく見ないふりをしてくれていた。興味を持ってくれたのか不思議なことに教室を出ると「連休中に科学館に行く課題一緒にやろうよ」などとメールでお誘いをくれる子もいた。気を遣ってくれていたのかな(あの子しんじゃいそうだから順番に声をかけてあげようとか相談されていたとしたらそれはそれで面白いなあ)
今ライブに行っているお友達もこの教室にいたうちの一人だったのである

だけど教室に行けば夢だったかのようにまた当たり前に元に戻る。私を含め、みんな決まったところで決まった役割をしているみたいだった。それが今でも不思議だしとても興味深い


私の高校ではお寺に泊まりがけで研修に行く行事があったのだけど、行き帰りのバスの座席決めの際にまきちゃんが私を隣の席に指名した。ごめんねと思った。気を遣ってくれたのだろう。教室ではきっぱり一人でいることを選んでいたので、まきちゃんとは久しぶりに喋ってバスで色々なお話をした
そこで初めてメールアドレスを交換した。高校生の間ではもうラインがすっかり定着していたのだけど私はガラケーだった

研修の服装は制服にジャージ、サブバッグは学校のカバンと決められていた。私はそれを守ったのだけど私以外みんなお洒落なリュックやバッグを持ってきていて、まきちゃんはチアリーダー部が使っているのとよく似たボストンバッグを持ってきていた。

「まきちゃんなんでチア部のバッグよ(笑)」
『いやー妹がコレ使っててさ!チア部に入ったみたいだよね』

この会話を、色々なクラスメート達とするのを私は研修中に何度も聴いた。


研修から帰り、代休の連休が空けて少ししてからまきちゃんは放送で職員室に呼ばれることが多くなった。そしていつからか学校に来なくなった。風邪かしらとお見舞いのメールを送ったのだけど返事はなかった。

しばらくして、ホームルームで担任からまきちゃんが停学処分になっていることを聞かされた。まきちゃんが研修に持ってきていたカバンは、チアリーダー部が揃いで使っているボストンバッグを盗んだものだったという。朝練のために教室に放置されたボストンバッグの中身をゴミ箱に捨て、外側だけを持ち帰ったということらしい。


まきちゃんはそんなことをするようには思えなかった。それから、ただ欲しかったのならかばんだけ家の部屋にしまいこんでしまえばよかったのに、何故それを研修に持ってきたのだろう。学校で盗んだものを学校の行事に持ってきてしまえばバレてしまう確率は高い。
私はもう一度なにかメールを送るか悩んだけれど、やめた。なんと送ればよいのかわからなかった

Aちゃんたちは三人になって、たまに体育で二人組になる時に必然的に私とその中の誰かとでやったりした。変わったのはそれくらいであとは当たり前に日常が進んだ


高3の夏にまきちゃんは戻ってきた。
「迷惑をかけてごめんなさい。今日からよろしくお願いします」
転校生の自己紹介のように教卓の前でまきちゃんはぺこりと頭を下げた。


最初の時間割は体育だった。ふと気付いたらまきちゃんが隣にいてずっと喋り続けていた。そっかそうなるよねえ、と思った。妹がキノコ柄の便箋をかってきたとかそのときそんな話を聞いた気がする。これは触れない方向がいいのかなと思って「そうなんだ、どこで買ってきたの?」とかそんな当たり前の話を、気付いたら毎日していた

まきちゃんはよく嘘をつく。バレバレの。私はそれがとても好きでいる

たとえば、当時私は好きなアーティストのキャラクターのパスケースをつけていたのだけどある日待受を私に見せて「見て!好きって言ってたキャラクター、携帯に元から入ってたの!」というのだった

まきちゃんは自分の保身とか自分をよく見せようとか、得をするための嘘はつかない。嘘をつくことで一時でも「わっ」とその場が盛り上がることが嬉しいのだ。と私は思っている

細かい嘘が度々登場するのだけど私は指摘はせず全てにわっと喜んだ。卒業して今もたまに会ったりするけれどカバンの件の真相や嘘をつく真意ついては未だに触れることが出来ない

まきちゃんは高校時代何を感じていたのだろう。クラスメートと同じように見ないふりを貫いていた私に何か思うことがあっただろうか

先日まきちゃんとお酒をのんだ。「モヒートが好きでよく飲むんだ」と言って頼んだのだけど半分も減ってなくて、大丈夫だったかなと思った。ミントが飲めるなんて大人だね、とわっとしてあげるべきだったのだろうか、懐かしい気持ちになった


その後の話をすると、高3の終わり頃からBちゃんは筆箱にカッターを忍ばせ手甲側の指に無数の浅い傷をつけていた。Bちゃんにもやるせない何かがあったのだろう

だけど電車で化粧をすることと同じように、人前でするなんて馬鹿ねと思った。こんな事を思うのは冷たいかもしれないけれどBちゃんのそれはきっと気を引くための行為でしかないし、そんな浅い傷ではすぐに消えてしまうね。
「Bちゃんやめなよ…」Aちゃんは繰り返し呟くばかりだった。Cちゃんは相変わらず見ないふりをしていた
それを見てまきちゃんは何を思ったのか

これは偏見になってしまうのだけれど全体として吹奏楽部という団体が私はとても苦手だった。機械のように朝から晩まで練習をこなし、そこにいれば「安心」している人間が多くいるように感じたのだ。実際吹奏楽部の勧誘は、一人でいる新入生に取り入るように行われているのをよく目にした(全員がそうと言っている訳ではない)私もよくしつこく声をかけられたけれども地下の先輩部員しかいない部へと逃げ帰った

これは本当に本当に私の勝手な憶測なのだけど、あのときわざと見つかるように盗んだのではないかと思っている。まきちゃんにやるせない何かがあって、誰かの気を引くための浅い傷なんかじゃなく、全て壊してしまいたかったのではないだろうか。実は盗み自体ではなくその先の制裁に意味があったのではないか。
これは自意識の過剰になってしまうのだけれど不器用なりにグループや吹奏楽部から抜ける為にしたことだったのでは、と考えたこともある
それともわっとなってもらう快感がエスカレートしてしまったのだろうか。分からないし分からなくていい。


クラスから隔離されたわたしたちは、ただふわふわと卒業まで暇つぶしのように時を過ごした。私はそれがとても心地よく感じていたけどまきちゃんはどう感じていただろうか?

思うことはたくさんあるけれども訊けないしこれからも訊かないのであれこれ考えたことはここに置いておくことにする。