ルーズリーフ

ひとりごとを書いています

私の中の少女だけが追いかけてく


神様の神様を聴いているような人だったので驚いた。
ちゃんと会話が出来た。会話だけだった。変わったシャツを着ていた。前と違うなあとか
ただトゥルー・ロマンスなんてものはどうせどこにもないのだろうとぼんやり考えていた

豚様の更新はうれしくて何回もよみかえしている。そうかなと思っていたこととへえと思ったことと
更新は多かったけどそんな記事が久しぶりなような気がしてすごくうれしいと思いました。感想とかをまた書きたい

アタシツマンナイ


14は明らかに現実だったので5次元になってやはりほっとします。

同時にうってなる感覚がある。置いてかれちゃう感じがする。明らかに私には無理がある。でもそれは最初からずっとそう。私も行きたいと思うから手を伸ばし続けている。
それまではじっと止まってなんかすごい速さで飛び交うものを見送るばかりだったのに、豚様にだけは手を伸ばしたくなった。
だから最初から無理がある。

馬場のフォトセッションを開いて何度か声に出してみると少しだけ落ち着く。
総統閣下はもういない。ずっといてくれるなんて思ってもいなかった。だからこれでいいんだって飲み込むしかない。受け取りたいと思ったものに救われる。
「信じれば救われるとはこういうことなんです」
(これは考えていたことと似ているなあとぼんやり思う。本を読んでも受け取りたいことだけ受け取りたいように受け取っていくような気がしていて。豚様の思考と一致するかは分からないのだけど)

小鳥の歌もきっとあの方の歌なんだと思った。
そういう曲のとき、その方に対して歌ってるのではないかなと思うときがある。そこに本当にいるのかは分からないけれど、いつも上のほうに向けて歌っている。
私はお経のときはいつも彼のこと考えている。藝祭の日からそうだった。最近は最後の部分でモリヤマさんのことも考えていた。私は事実婚かなと思っていたのだけど、でもやはりとてもうれしい。

しばらくはアルバムを聴き込む。

色々考えちゃうけど私には何も出来ない。無力。そもそも何か出来るかなんておこがましいのだけど
その一方で一人で行ったお台場でまた知らない人にいい顔をしてしまった。どう見ても話し掛けるのやめとこうな人間だから「ちょろい」とかそんなのでしかないのにな


金曜日がすごくすごく長かったから早く帰りたい


人前に立つとどうしても手が震えるしこちらが閉じているからどうなっても気を遣わせてしまうし申し訳無さでいっぱいになる。私抜きで世界は閉じていると思うのです。被害妄想などではなくて「そうある」ものなので、どうにかなるものだとは思っていなくてもちろん誰のせいでもない。これはいつもうまく説明できなくて誰かを怒らせたり傷付けたりしてしまうと思う

お兄さんに連絡してしまおうかなあなんて考えてしまっている。誰でもいいから抱きしめてほしい。縮こまって歩いているのが少しでも和らぐなら何でもいい。
だけどもわたしのことなんか見てない人だから安心できるのであって、誰に対してもそれを望んでいるわけではない。棒読みだろうが言動がおかしかろうが、何だろうとその人は気にもしていない。それに安心してしまう

キョーミ無い人の方が安心する。キョーミない人でいいからそばにいてほしいと思ってしまう。わたしにはわたしが好きだと思う人たちと言葉を交わす資格なんてない

明日が終われば切り離されるから早まるなという戒め
一人で行くものが多いのでお友達のこともとてもとても好きなのだけど安心してしまっている

救ってくれる人

救われに行っているんだなあというのと空っぽだなという実感が改めてあった


どうにか日常を送っていても手は震えるし体の力は抜けないけど少しだけ和らぐ。(12辺りの)途中から入ったために固くなって動けないことがかなしかった。条件反射でUFOでは腕がちゃんとピンとするのでよく鍛えられたものだと思いました。

初めての人に聴いてほしいってセトリだとは思うのだけど平日に切り離して頂いたので大変ありがたい気持ちです。新曲嬉しかったのにほとんど覚えてない…(そろそろ新曲と言うのやめなくては)

嘘でも覚えてないって言い張ってほしいと思ってしまった。よくない。私がこんなことを言うのも野暮だけど、記憶力が良くてよく見ていらっしゃるのでしょうとは思ってしまっている。それが曖昧になるから嘘でもよかったのに。581cの挨拶の中にはちゃんとはじめましてがあった

毎週のように通っていたRexなのでまた隙間をついて来れてよかったと思いました。そういえばいつも火曜日だったなあと今思い出した

不安で目が覚めてしまったので投稿

「その可能性が0%では、ないということ」
低く刺す声がまだ耳に残っていてうれしい

過ぎる春なんとか忘れて

趣味がお洋服を買うことみたいになってしまっているのでチケットを取りました。定時マンになります。

あんまり色々具体的に考えると布団から出れなくなってしまうのでなんとなく書くことしかできないけれど無理がある毎日を送っている。ずっとアドリブを続けている感じ。台本なんてないので当たり前なのだけど…やりきれないのにしにきれなかった私は今後もどうにかして上手くやっていかなくちゃいけない
演劇をやっていた頃からアドリブは苦手だった。小林さんはおそらくアドリブらしく見える部分もアドリブではないと思うので見ていてうれしくなる。何もないところから丁寧に丁寧に考えて捻り出されたものたちがいいなあといつも思う。何もないを上手く使える人にはとても憧れます。カジャラを観に行きたい

金曜日に食べた某チェーン店のラーメンは細かったのはよかったのだけどぎゅっと詰まっていてあまり好きではなかった。キャンペーンで文字入りの海苔が乗っていてみんな写真を取っていたけど私は容量が無く写真が取れなかったのでにこにこと「撮ったてい」でいた(ごめんなさい)
スクショを減らさなくては。いいと思うこともああと思うこともすぐにスクショをしてしまう。流れていくのは、かなしい

何もかも騙して笑い飛ばしていたい

これはツイッターです(ツイッターではない)


たまにコンセプトから曲を書くのをやめてしまわれたらいいのにと思ってしまう。けれどもそのときのコンセプトに合わせてずっと同じことを歌っているからすきなのでつらい

ここにいて下さい、「閉じ込められてそこが今では悪の要塞だ」ってそれでいい、外の世界に戦争なんて仕掛けなくていい
分かる人には分かるから少しずつ増やしていけばいいのにそれを待てずに飛び出して行ってしまうから待ってとなってしまって強さがこわいのはきっとそういうことで

一人でも多くに分かってほしいと思うことは正しい感覚だと思う。だからもっとやってほしいと思う反面…
きっとこんなのはあの方の嫌いなやつだと思う。いつか置いてかれちゃうんだと思う。ついていけなくなったらそれは私のせいなのでそれまでは笑っていたい(最後まで笑いたいとはいつも思っている)

好きな豚様がいるように思うので小鳥の歌ばかりを聴いている。最近は負やアばかり聴いていたのでやっぱりほっとする
私が好きなのはそっちで私が行きたいのはそっちだ

私が好きになったときはそんな雰囲気じゃなかったよねと何度も思い返している。見ないふりをしていたけど週末中学でもすでにそうだった。机に愛♡みたいなことを貼っていた人もいた(人のことはいいのであまり言いたくなかったのだけど)

初めて見た日、地下がほぼ初めてで馬鹿な私はとりあえずにこにこして見ていたらいいのかなあなんて思っていて、刺すような声で「何笑ってんだよ」と仰ったときにビリビリと痺れた感覚を覚えている。戦いなんだと感じて地下の狂い咲いたような光景に私も行きたいと思った。なのにそういう感覚が今初めて見てもあると言えるのかどうかは分からない。私は今は豚様の飾るものを排除して残る小さな小さな点が好きなので、それにずっと救われているので、縁取る形はなんでもいいと思ってしまう。擬態しながらずっと同じことを歌っていて下さいと思っている。それは変わらない

擬態してピースフルを続けているのに、その中で刺すような何かがなければ「こういうの待ってたの!」と豚様が否定したがった応援の仕方をされても仕方ないのかなあと思う。私は見てないから何を言う資格はないのだけど

新曲は強くて私が待ってた豚様かもしれないけど馬鹿にするような、諦めるような、しかし他のところで諦めてないようなそういうところが好きなのかもしれないと思って少しだけつらい
現実に近いから戸惑ってしまって、でも私は現実で生きるしかないからどちらも仕方のないことだと思う。本当に私にとっていい時期に秘密結社のターン(新旧どちらも)があったなあということだけ

ステューピーのインタビューを読んで本当に誰も取りこぼして行きたくはないのだなあと思ってそれはとても嬉しいことだけどツイッターランドでムキになっていた豚様を思い出して大丈夫なのでしょうかなんて勝手に思って、そう言えばどこでもその場その場で思い描いたように…豚様も希望的観測が過ぎるのだなあなんて思ってやっぱり好きだなあと思った(日本語がおかしい)。
どうにもならないことはどうにもならなくて諦めてしんでいきたいと思っているから諦めない人がいることだけでなあんだって少しだけ動機が和らぐような気持ち

たとえば異聞で、そこまで言われたら本当に思い描いたことが実現するような気がした。そんなはずはなくても地下にいる間だけでもそれを本当にしてくれたらそれでいい。そうやって思っていたのに「本当に夢の中の話だと思ってるの?」ってそれがもう本当に救いだった

物語だけじゃなくて、そういうものを書いた方だってそれがずっとある。


自分本位について考える。誰かの自分本位が好きな場合もあればつらいと思う場合もある。そうしか出来ないような方のことは勝手に大好きです。
コメントを書くときはお伝えしたいことを入れることはもちろんコメント欄に相応しいか否かというのは何度も何度も確認をする。私などはほっとくとすぐ嫌なほうの自分本位になってしまうので自制をしなければいけない。それでもちょっとお伝えしたいことを書けてうれしかった
書いていて、やっぱり現実からほんの少し離れた(丁度ドラえもんが少しだけ浮いているようなイメージ)豚様が好きなのだなあと思った

シングルについて、以前ジャケットの前はもちろん後ろも写真にしたくないと仰っていて、だから拡散盤とかそういう意味だったらいいなと感じた。14才はちゃんとは聴けなかった。小鳥の曲はもっとちゃんと聴いてみたいと思う


ブログに題名をつけるのは難しいと思います。表示が変になるのであとから無理矢理つけるのですけど…つけてから公開しろよと思うのですが更新はなるべくリアルタイムでしたいなあと思ってしまうのです

なんだみんな幸せにしてたのね

「明日もボクはライブハウスで飛んでるから、明日でも、まあまた会ったときでも」というのにすごく救われるしお前は自分かわいそうをしていないで(行けないときは行けないし行けるときは行けるんだから)行けたときに楽しめよと思う。またすぐ流されているなー

ブロマガに書いてあることが本当ならとても嬉しい。私は物理的に「見ていない」から何とも言えないのだけど。変わりながら変わらずに、擬態しながらずっと同じことを歌っていて下さればそれで私は幸せ

新曲は今日も買えなかった

「アタリマエ」に死ぬがよい

次は、その次は、毎回思うのに毎日区切れもなく過ぎていく。「卒業したら」「成人したら」ずっと思っていたことだったけれどきっとどこまで行っても無理なのだろう。これは「どうにもならない」ことで、受け取り方を捻じ曲げてどうにかしていないといけない。でないと今すぐに大きな声を出して転がり回ってしまう(しない)

気付くのが遅い。だから、どうせ「それだけでは駄目」なのだから、とりあえずなんとかしておくべきだったのだ。それが出来ないならせめて行けるときには楽しんでいたらよかったのに。何もかも中途半端で駄目。シェルターのような地下でも漠然とした不安と投げられた言葉がぐるぐると頭を回り、振り切ってすがるように豚様の宗教に参加した。

これが終わったら、あれが終わったら、と思いを馳せるのに本当は終わりなんて来ないことはずっと分かっている。自分が終わらせなければ終わりなんて来ない。他に解法がない。だから高校を卒業したらしぬつもりだったし、豚様に出会ってからは行けるときにはなるべく行こうとした。その熱が今自分にないことに驚いているしかなしい。かつてのように隙間をついては抜け出していく自信がもうない。疲れた。
これは私のせいなので、あの人にもその人にも、好きな人たちに見離されてアタリマエに死ねばいいと思う。だけど嫌だから最後まで笑っていたい、のに

(それでも母が見抜いたと思っている何十倍もの回数彼らを見に行けたことは誇りに思う(誇れることではけしてない))

きっと私が思っているより世界はかなしくないし私が思っているより私は誰かを傷つけている。首輪を繋ぐように意識を引き戻していないと変な行動を起こす。昨日だって逆向きのエスカレーターに完全に乗るまで気付かなかった。そんなことがたくさんあってこの先が不安で仕方ない。
私などは馬鹿だから常に目を凝らしていなければ簡単に流されていく。抗った数年間はこのまま何年も経った後の私にもただの暇潰しとされてしまうのだろうか

以前ゴリラの最後で思わずわっと両手を上げてしまったことがある。すごく良いゴリラでとても嬉しかったのだと思う。しかしゴリラはいつもしっとりと終わるはずなのですぐに顔がかあっとなって背中が冷たくなったことを憶えている。あのとき泣かなかったのは確かに豚様のお陰だったのに


夢見る力は強いもので、今でも私にとっての豚様は救世主であったりする。更新があった日の、同じような時間に車で三ツ沢公園を通りかかっていたことが嬉しかった。ただ再録を何度聴いてもこわいので、明日やっと新曲を買いに行く(つもり)
最近なんとか人として紛れるための服をたくさん購入した。襟を正すような気持ちは持てない。

そのままでいいって言ってやる


肉フェスのステージがいつも好き。「お肉を食べに来た人」に向けて行うライブで「肉を食べるのは一旦やめてこっち見ろ」と言うのは、お肉を食べに来てたる人には全然響かないと思う。興味が終了になってしまう。だから「肉を食べに来た一般人」にあえて威圧感を与える必要はなくて豚様はそんなことはしない。少し前までしていたように思うけど、しなくなった。

それでも本気で戦っているしピースフルでも的確に急所を突いて刺してる感じがしてとてもうれしい。そういう分かる人には分かっちゃうとかそういうところが私は好きなのだけど


秘密結社のひっくり返すことが主なテーマのターンが終わってしばらく経つけどどうしたらいいのか分からない
何に対しても一度はこれから良さが分かるかもしれないとは思うようにしていて、それでもきっとこの先も思えないかもと思うものはあって、それにはそれだけの理由があって、だからもやもやとしている。
奇をてらうことはうれしくなるし良いのだけどそれがなんのためにとか分からないとつらい。意味のないものを楽しむことが上手く出来ない。あったとしてちゃんと見つけていけるだろうか

奇抜なものをただ寄せ集めたものはやはり苦手で、お人形のドレスのようなお洋服にはなるべく柄物のタイツではなくシンプルな靴下を履きたいし、ヴィヴィアンの良さが分からないので持たない(素敵だとは思うので良さが分かったら持ちたいとは思う)

同じように?ヴィレヴァンを否定するのもなんでだろうと思ってしまう。たしかに苦労して購入したものがヴィレヴァンにあると、好きなカフェがチェーン店だと分かったときと似たような感覚になる。だけれどチェーン店でもベローチェは好きだし、ヴィレヴァンブルーブルーエに並べられているものでも欲しいものは欲しい。
アクシーズのお洋服はもうあんまり着ないけど中学生のころには本当に大切なお洋服だったし…そういうのを今否定してしまうことは出来ないなあと

そういう何に対しても軸を持つということではなかったのかなあ「チェーン店だから嫌い」だとしたら「チェーン店だから好き」というのとあまり変わらなくなってしまう気がしてしまう。「賢いボクだけが」というのと「お前らとは違うんだよ」というのが同じ「14才」になってしまうことが少しかなしい。それでも同じ方が書かれたものだし受け入れなくてはいけない

面倒臭い奴の減らず口だと豚様にまで弾き飛ばされてしまったら私はどうしたらいいだろう。そうならないように私も行きたいって頑張ろうとするけどバランスを崩してガタガタとここまで来てしまった。ついていけなくなったならそれは私のせいだけど14や5次元がこわい
そこだけで豚様が好きだし今も救いで、これからもそういれたらいいと思います


ギリギリまで希望的観測でものを見るようなところがあって、治さなくちゃいけない。物語ならそれでいいけど私は物語の中にいる訳じゃない(かなしいけど)
茶番にあったように、私は馬鹿だから宇宙船に詰め込まれて改造されて刷り込みのように救われているのかなあと思うとやり切れない
しんじゃいたいからそれでもいいかなとも思うんだけど




もういいやと諦めて全部やめて海外に行って、帰ってきたら1日で働くところが決まったので驚いています。他の面接でいつも「なんで」と思っていた箇所がなかったところで働けるのでよかった

また始める人は多いと思うのだけど1年間ずっと続けていたの本当に笑うしかない。
平日は毎日毎日最悪の格好で最悪の気分でふらふらと街を歩いた。しぬのを待つ目をしていたと思う。1年間落ち続けた。希望する条件ではないところからはいくつか声を掛けて頂いてもうやめてしまおうかとも思ったけど、もう少しもう少しとここまで来てしまった。なんでやめようと思わなかったのか

だから、本当に欠陥品なんだなって思って、そんな私を働かせてくれるので、ありがとうございますという気持ち。出来るだけいい仕事ができればと思います(いい仕事とは)
あとは手段として割り切って金曜日に切り離す生活は出来そうなのでそちらもよかった。


早くすきな方たちを観に行きたい

魚の目

だめだ本当にだめだ。また体が魚のように跳ねる。ここまで来てもまだしねないなんて
何が悪いって自分が1番悪いというのは初めから分かっている
飛行機に乗って花火を見に来た。虹色のケーキをたべた。なんにもたのしくない、申し訳ないのだけど

叫び出しそうになるのを何度も何度も抑えて体が跳ねる。そこに何も無いなんてことは最初から分かっていたのに救いを求めてばかりで私は馬鹿。私はここまで来て何を信じているの
これは延命だったから何かの猶予期間だったから私はずっとペテンが解けたらしななきゃいけない気がしていた。それでも私は

考えるのがこわい。はやく豚様に会いたい



メモ

時間わかんないんだけど春さんと豚様どっちが先に言ったの?どっちが先かしらないけどかなしい。他の宗教を否定しなければ自分の宗教も語れないなんてかなしい
どちらも素敵だけど今言わなくても良いのでは

無数の回る刃

好きなお洋服のアカウントのリツイートが流れてくるとふうん…となってしまうのでわたしは心がせまい。
アーティストに対してはそれがない。もっとその話して…!となって、自分の好きな人のことだとさらに。なのになんでだろう、お洋服だと自分が表現することに関わるからかなと思う。自意識がつよい。
ゴスロリの歌詞はわかる部分とわからない部分がある。よく言われる戦闘服というのもあまりピンと来ていない。あの方の書く歌詞は外から見たらそりゃそりゃそうなんだけど…とずっと思っていてでも薄い訳じゃなくてだから好きなんだけど難しい
聴いていてうっとなる感じ。これは私の好みの問題。

私などは都合の悪いところを変換してから歌ってくれるから豚様が好きなのだなーと思う
駄目かもしれないけど、でも考えなくてもいいときくらい肯定してほしいと思ってしまう。こういうとき本当に骨の髄まで彼の言うイエス様の作品から伝わってくるようなものが染み込んでいるのだろうなあ思う

やっぱり救いに流されてしまうので本質を見れる人は本当に強いなあということを思います。救いといっても「そんなんじゃ救われない」と思うものはたくさんあって、そういうことを言いたかったのかなあと思うけど14も私には難しくて大丈夫なのかなあと思っている。
それでも今日も救いを待つことしか出来ない。


さっきまでフルーツサンドを食べていたのに母と姉と言い合いをしていたら2階で寝ていた父も降りてきてなんだか分からないことになった。癇癪で頭痛い。自分含めてなにもかも下らないしもうしんじゃおうかなあ
しにたいときは豚様に書くお手紙の内容を考える(出すとは言ってない)全部なくなるんだったら何でも言えるなあと思うけど豚様の世界は続いていくよねえと思うけど私がしんだら全部が終わるので関係ないかあと思う。影響なんて何も与えることはないよと思うのですけど
色々と考えますがたぶんしないので許してほしいです。


今は割と世界を諦めることが出来ていて、日常はアタリマエの人たちに譲るからという気持ち。ハロウィンのとき豚様が「最近はハロウィンがパリピの物になっちゃって。あとコミケの日はそちらの人に譲るから!あとの日はこっちのもんだ」と仰っていてそういうのが私は嬉しかった。
だから今はあちらに譲っていて、自由にいれるときに自由にいたらいいから今は大丈夫。


朝までにやることがあるのにつまらない文章を書いてしまった。眠らなければ起きる時間まで3時間もある。

誰にとってもこれは無意味なひとりごと

毎日バス停から家までをゆっくり歩いたりとか玄関のドアを開けるのがこわいとか。外に出るのがこわいんじゃなくて中に入るのがこわい。とてもこわい。外はこわいけどこわいというより勝手に罪悪感がつきまとうのでまだ自分でなんとかしようとすることが出来る。中がこわくて今日は少しだけ寄り道をして帰った。香り箱のお寿司(もどき)を買ったのであとで食べることにする
原因はなんだとか対策できることはなんだとか冷静に考えようとはするのだけど考えると泣いちゃうので見ないふりで音楽を聴いてバスに揺られる


たまたま数時間後にブロマガが更新されていて祈りが届いたみたいでなんだかうれしくなる。いやな書き方をしてしまったので反省をした。単純である。
すべてのことは起きるから起こって、そこに意味なんてない。起こったことをいい方にいい方にテコでも動かすんだって誰かが言ってた。私も春を信じたいと思う。



襟を正して会いたいと思う人がたくさんいる。お友達と趣味のことで少ししか会う勇気もないのに服を選ぶのに時間をかけてしまうとか(ちよっと違う気がする)

とある解説者の方について、現役の頃からいいなと思っていて、今回もうれしかったのだけど(テレ東だけが気付いてる感じがさらにいいなあと思います)もしその方に会いに行けるとしたらとびきりお気に入りのお洋服を着て行くのだろうとかぼんやり考えた。かわいいと思われたいとかそういうことよりも襟を正して会いたいということ

それがバンドTシャツのときもあればたった一着だけ持ってるセシルマクビーのセーターのときもある、人によってとかあるいは場合によってとか。
あるとき某氏が川崎が地元だと訊いたのでクラシカルな格好で向き合いたいと思ったらたしか先攻がEで暑くてしにそうだった(当たり前だ)、後悔はしてない。場所も考えられるようになるといいねえと思う

何年か前、稽古の後だからとハーフ丈のジーパンとTシャツで誘ってくれた花火大会に行ったのはあれはよくなかっただろうと今になって思う。浴衣は無理だけどせめて襟は正すべきだった


私は私の神様に襟を正して会いたいから近くても遠くてもいつか来る「その日」のために小物を買い集めるし音楽を目を凝らすように聴く。隙間をついてはDVDを繰り返し見て、たしかに救いはあったと何度も何度も確認をして大丈夫だと言い聞かせる



例えば誰かの「いつも通り」を崩してしまうとかそうまでして垂れ流していたい訳ではないので本当に見えないけど探せなくもないみたいなところに隠した。それを崩したのはやっぱり駄目だった。もちろん私の問題で。優しい人たちに出会ったって遠ざけてしまうのはなんで。こちらも襟を正して会いたい方ばかりである

誰に何をしてほしい訳ではなく、だったらお前黙ってろと思うのですが確かに「あった」ことにしておきたいのです。無理やり見せないから許してほしい(誰に)
祈りはあったんだよ。更新される前に私はたしかに祈っていて、それがたまたま起こって。意味をつけて勝手に救われてまた表面上平気な顔をして過ごせていればそれで幸せ


お前の居場所なんてないと言われたのでしってたと呟いたら激怒された。責めているように聞こえたらしい。何においても問題は「外」にある訳じゃなくて、なのにいつも上手く言えない。

母について姉とぽつぽつ話をした。いつもそのことについてちゃんと話すことはあまりない。「こっちが負けて忘れるしかないよ」と言っていた

父がしきりに私の部屋に来て「あれは良くないよなあ」と言ってくる。たまに一人で箸で食器とかを叩いてる人とは思えないけどそれも直接当たり散らさないためなんだろうと思うと少し尊敬出来る。当たり散らすことも多いけどせめてもの自制なのかもしれない。意志が大事だなあと思う

少しだけここが何か辛いだけだよ

 

私を祝ってくれるのだそうだけど喜べない。喜ぶべきなのだろうし気持ちはもちろんありがたいしありがとうとは言うかもしれないけど心から感謝することができない。一ヶ月を切ってからみんなを振り回してどうしたいというのだろう。すっかり「娘を祝いたいのにあたしってかわいそう」モードになっていて私は困ってしまっている。そもそもめでたい気分でもないのだし、祝うとは、祝われるとは

トークのみと発表されて喜んだインストにもおそらく行けない。とても言える雰囲気ではない

仕方がないので欲しかった本や、気になっていたバンドのCDや、衣装や歌詞に合いそうな小物とかを買い集めている。君に会えたら死にたい曲ばかり聴いている。救いがなくてキャトルを聴いたらやはり泣きたくなった。その土地に合わないであろう(しかし私がお気に入りの)格好をしようとかぼんやり考えてやり過ごしている

どう過ごそうと「その日」は来てしまうもので、大丈夫と思っていてもいいのだろうか。私は無条件に付いていくことしかできないけれどどうかちゃんと見てる人に諦められてしまうことにならないようにそこにいてほしい

 

 

 毎日テレビを見ているけどわざとらしいインタビューや演技中でもない「パフォーマンス」にイライラしてしまう。技術はあるのかもしれないけれども跳べばいい、その動きをすればいいというようにしか見えない。表情もこわいと思ってしまう。私には良さがどうしても分からないのです。

机の中にはね 出しそびれたお手紙

 

今年の目標はピノキヲ「を」観に行くことだったので実現できて嬉しい。ちゃんと、というか前売りを買って楽しみにしていた。紫のシールがもらえてうれしい、かわいい

前髪を切りすぎたとか服が気に入ってないとか、開場からの入場が久しぶりとのこともありそわそわしながら入場。でもデセオはゲリラライブの時にドリンクを買い足したりしながら長時間座ってリビングのように過ごしていたから床の感触とか壁に既視感があり過ごしやすい。最近デセオばかりだなあ

後方には年齢が高めな男性がちらほらといらしてなんだかうれしいなあとなった。

 

幕が開いてステージのセンターに雄大さんがいらっしゃった。セクアンのことも結局タイミングが合わず観れていなかったのでとてもうれしかった。あれ出演者の中にシンナーズの名前あったっけかなと思っていたらシークレット出演だったようです。実質シークレットじゃないじゃない…なイベントはよくあるように思うけどこういうの感動する(私が気付かなかっただけで何か手掛かりがあったのかもしれないけれど)緑さんがアルタ前の伝説の後、関係者に「なんで媒体の人呼ばなかったの?」と訊かれてその時ああ~!ってなったお話をされて、「全く気付かなかった。だってシークレットだもんねえ?」と仰っていたのとてもいいなあとなったのを思い出していた。

噂に聞いていたけどバッとサングラスを外すのとてもかっこいい。危うさというのか、「酔っ払って地球と勝負」し出してもおかしくないような雰囲気があるように思った。初見がシークレットなんて贅沢だなあと思った。

最近はグルグル映畫館を聴いているので沼倉さんをお見かけ出来てとても嬉しかった。

なかなか歌詞を覚えていられないのだけど「お前の闇を愛してる」という歌詞が頭に残っている。

お邪魔します、というのがMCの一言目だった。何度もペコペコしながらおっしゃっていた。「やってみたかったの。もう言いたくて言いたくて仕方なかったの。でもそれはもうシークレットじゃなくなっちゃうからね!」「こういう形だと、言ってくれれば!ってお客さんもいると思うんだけどね、今回はこういう形でやらせてもらいました」

なんだか宝探しの隠し場所を教えたくなっちゃう子どものようで微笑ましかったです。楽しみにされていたのかなと思うとこの場に立ち会えてうれしいなあと感じた

ヌンチャクの技や、マイクスタンドを立てて男子小学生が言うような単語を連発する様子などは大真面目な表情なので自然と笑ってしまった。笑いながら片手間にやられてしまうとうってなるんだけど全力で真面目な顔をしていると安心して見ていられる。サングラスをかけて退場されていた。

小学生みたいな感想になってしまうのだけどライブハウスが大好きなんだなと思った。 いやもちろんみんなそうだと思うのだけど。アーポツアーに行ってみたいし出来ればセクアンのいるアーポツアーが見てみたいと思った。夏はいつも楽しそうだなあって見つめてるだけだ

 

緑人間もやっぱりとても楽しかった。その右の方のやつでいいから? 妥協?してるのかなあと思って面白くなった

細かい振り付けはやはりついて行けないけどちょこちょこ真似してみるのが楽しかった。見たままやるというのが苦手で困る。おまんじゅうの振り付けも未だに分からない。真ん中が近かったのでこわかった、そうだコードンがあった… 

シールを貼るタイムを見てほっこりしたのと、「聞きにくいからMC中のマイクをゲロゲロさせるのをやめてみようと思います。」というのがお優しいなあと思ったしゲロゲロという表現が面白いけどぴったりだなあと思った。金髪だったから緑を入れてすっごい嬉しいんだけど生虫さんにミドさんなんで青なん?と訊かれてガッカリしましたというお話をされていた

 マイナスはもしもし渋谷のミニアルバムが好きなのでサラバ重力(借)がとても嬉しかった、(仮)と掛けているのでしょうか そういえばこの曲のサビはいちばん好きかもしれない

 全く動いていなかったお姉さんが少しずつ動いていた気がしてそういうの嬉しかった。

 

ピノキヲは衣装が替わってから初めてだったので衣装に感動した。電源の光は外に出したかったというお話だったけどぼんやり光っていて綺麗だった。白色に思っていたよりも違和感がなくて客席やスカートの水色に映えるなあと感じたのでよかった

理想的家族の少年のラストでお尻がつるうゆにさん。「出来損ない」が絶妙なタイミングで来てしまってあっと思った

うゆにさんの中には切り替えのスイッチがあるように思って、分かっているから整理されていて見やすい。セガのゲームは世界いち!に行く前に状況を整理するうゆにさん。切り替えてからセガの〜に行きたいというコンテニューを思い出した。「それが好きなことがコンプレックスかのように」というお話、小中学生の頃(私は音楽に関してだったけれど)感じていたことに重なってじんわりした

なんにも意識せずだけど以前のアルバイト先がセガだったので(なぜか)ありがとうございますという気持ちになる。

逆さまに映る桜の木は今までどうしていいか分からなかったのだけどなんだかこの日は自然に入ってくるというか見入ってしまった。すごくよかった

文になってない気がするので書いていいのか分からないのだけど嬉しい告知があった。物販CDから2曲やったのもそういうことなのかなあ

「おじさんと勝負しないか?」「43歳の僕と会おう!」長く続けて下さることに感謝しなければと強く思った

次は水色を持っていこう〜と思ったので昨日はケミカルライトを購入した。いつになるか分からないのでまた購入することになるかもしれないけど

 

転換中、きっとこれが花嫁だなあと思う曲があった。好みの雰囲気だったのでゆっくり聴いてみたいです。それからうゆにさんのあとにはイワンのばかが流ていてとても良いと思った

 

 

ブログの設定を変えてみたのだけど大丈夫なのかなあと思っている