ルーズリーフ

ひとりごとを書いています

「アタリマエ」に死ぬがよい

次は、その次は、毎回思うのに毎日区切れもなく過ぎていく。「卒業したら」「成人したら」ずっと思っていたことだったけれどきっとどこまで行っても無理なのだろう。これは「どうにもならない」ことで、受け取り方を捻じ曲げてどうにかしていないといけない。でないと今すぐに大きな声を出して転がり回ってしまう(しない)

気付くのが遅い。だから、どうせ「それだけでは駄目」なのだから、とりあえずなんとかしておくべきだったのだ。それが出来ないならせめて行けるときには楽しんでいたらよかったのに。何もかも中途半端で駄目。シェルターのような地下でも漠然とした不安と投げられた言葉がぐるぐると頭を回り、振り切ってすがるように豚様の宗教に参加した。

これが終わったら、あれが終わったら、と思いを馳せるのに本当は終わりなんて来ないことはずっと分かっている。自分が終わらせなければ終わりなんて来ない。他に解法がない。だから高校を卒業したらしぬつもりだったし、豚様に出会ってからは行けるときにはなるべく行こうとした。その熱が今自分にないことに驚いているしかなしい。かつてのように隙間をついては抜け出していく自信がもうない。疲れた。
これは私のせいなので、あの人にもその人にも、好きな人たちに見離されてアタリマエに死ねばいいと思う。だけど嫌だから最後まで笑っていたい、のに

(それでも母が見抜いたと思っている何十倍もの回数彼らを見に行けたことは誇りに思う(誇れることではけしてない))

きっと私が思っているより世界はかなしくないし私が思っているより私は誰かを傷つけている。首輪を繋ぐように意識を引き戻していないと変な行動を起こす。昨日だって逆向きのエスカレーターに完全に乗るまで気付かなかった。そんなことがたくさんあってこの先が不安で仕方ない。
私などは馬鹿だから常に目を凝らしていなければ簡単に流されていく。抗った数年間はこのまま何年も経った後の私にもただの暇潰しとされてしまうのだろうか

以前ゴリラの最後で思わずわっと両手を上げてしまったことがある。すごく良いゴリラでとても嬉しかったのだと思う。しかしゴリラはいつもしっとりと終わるはずなのですぐに顔がかあっとなって背中が冷たくなったことを憶えている。あのとき泣かなかったのは確かに豚様のお陰だったのに


夢見る力は強いもので、今でも私にとっての豚様は救世主であったりする。更新があった日の、同じような時間に車で三ツ沢公園を通りかかっていたことが嬉しかった。ただ再録を何度聴いてもこわいので、明日やっと新曲を買いに行く(つもり)
最近なんとか人として紛れるための服をたくさん購入した。襟を正すような気持ちは持てない。

そのままでいいって言ってやる


肉フェスのステージがいつも好き。「お肉を食べに来た人」に向けて行うライブで「肉を食べるのは一旦やめてこっち見ろ」と言うのは、お肉を食べに来てたる人には全然響かないと思う。興味が終了になってしまう。だから「肉を食べに来た一般人」にあえて威圧感を与える必要はなくて豚様はそんなことはしない。少し前までしていたように思うけど、しなくなった。

それでも本気で戦っているしピースフルでも的確に急所を突いて刺してる感じがしてとてもうれしい。そういう分かる人には分かっちゃうとかそういうところが私は好きなのだけど


秘密結社のひっくり返すことが主なテーマのターンが終わってしばらく経つけどどうしたらいいのか分からない
何に対しても一度はこれから良さが分かるかもしれないとは思うようにしていて、それでもきっとこの先も思えないかもと思うものはあって、それにはそれだけの理由があって、だからもやもやとしている。
奇をてらうことはうれしくなるし良いのだけどそれがなんのためにとか分からないとつらい。意味のないものを楽しむことが上手く出来ない。あったとしてちゃんと見つけていけるだろうか

奇抜なものをただ寄せ集めたものはやはり苦手で、お人形のドレスのようなお洋服にはなるべく柄物のタイツではなくシンプルな靴下を履きたいし、ヴィヴィアンの良さが分からないので持たない(素敵だとは思うので良さが分かったら持ちたいとは思う)

同じように?ヴィレヴァンを否定するのもなんでだろうと思ってしまう。たしかに苦労して購入したものがヴィレヴァンにあると、好きなカフェがチェーン店だと分かったときと似たような感覚になる。だけれどチェーン店でもベローチェは好きだし、ヴィレヴァンブルーブルーエに並べられているものでも欲しいものは欲しい。
アクシーズのお洋服はもうあんまり着ないけど中学生のころには本当に大切なお洋服だったし…そういうのを今否定してしまうことは出来ないなあと

そういう何に対しても軸を持つということではなかったのかなあ「チェーン店だから嫌い」だとしたら「チェーン店だから好き」というのとあまり変わらなくなってしまう気がしてしまう。「賢いボクだけが」というのと「お前らとは違うんだよ」というのが同じ「14才」になってしまうことが少しかなしい。それでも同じ方が書かれたものだし受け入れなくてはいけない

面倒臭い奴の減らず口だと豚様にまで弾き飛ばされてしまったら私はどうしたらいいだろう。そうならないように私も行きたいって頑張ろうとするけどバランスを崩してガタガタとここまで来てしまった。ついていけなくなったならそれは私のせいだけど14や5次元がこわい
そこだけで豚様が好きだし今も救いで、これからもそういれたらいいと思います


ギリギリまで希望的観測でものを見るようなところがあって、治さなくちゃいけない。物語ならそれでいいけど私は物語の中にいる訳じゃない(かなしいけど)
茶番にあったように、私は馬鹿だから宇宙船に詰め込まれて改造されて刷り込みのように救われているのかなあと思うとやり切れない
しんじゃいたいからそれでもいいかなとも思うんだけど




もういいやと諦めて全部やめて海外に行って、帰ってきたら1日で働くところが決まったので驚いています。他の面接でいつも「なんで」と思っていた箇所がなかったところで働けるのでよかった

また始める人は多いと思うのだけど1年間ずっと続けていたの本当に笑うしかない。
平日は毎日毎日最悪の格好で最悪の気分でふらふらと街を歩いた。しぬのを待つ目をしていたと思う。1年間落ち続けた。希望する条件ではないところからはいくつか声を掛けて頂いてもうやめてしまおうかとも思ったけど、もう少しもう少しとここまで来てしまった。なんでやめようと思わなかったのか

だから、本当に欠陥品なんだなって思って、そんな私を働かせてくれるので、ありがとうございますという気持ち。出来るだけいい仕事ができればと思います(いい仕事とは)
あとは手段として割り切って金曜日に切り離す生活は出来そうなのでそちらもよかった。


早くすきな方たちを観に行きたい

魚の目

だめだ本当にだめだ。また体が魚のように跳ねる。ここまで来てもまだしねないなんて
何が悪いって自分が1番悪いというのは初めから分かっている
飛行機に乗って花火を見に来た。虹色のケーキをたべた。なんにもたのしくない、申し訳ないのだけど

叫び出しそうになるのを何度も何度も抑えて体が跳ねる。そこに何も無いなんてことは最初から分かっていたのに救いを求めてばかりで私は馬鹿。私はここまで来て何を信じているの
これは延命だったから何かの猶予期間だったから私はずっとペテンが解けたらしななきゃいけない気がしていた。それでも私は

考えるのがこわい。はやく豚様に会いたい



メモ

時間わかんないんだけど春さんと豚様どっちが先に言ったの?どっちが先かしらないけどかなしい。他の宗教を否定しなければ自分の宗教も語れないなんてかなしい
どちらも素敵だけど今言わなくても良いのでは

無数の回る刃

好きなお洋服のアカウントのリツイートが流れてくるとふうん…となってしまうのでわたしは心がせまい。
アーティストに対してはそれがない。もっとその話して…!となって、自分の好きな人のことだとさらに。なのになんでだろう、お洋服だと自分が表現することに関わるからかなと思う。自意識がつよい。
ゴスロリの歌詞はわかる部分とわからない部分がある。よく言われる戦闘服というのもあまりピンと来ていない。あの方の書く歌詞は外から見たらそりゃそりゃそうなんだけど…とずっと思っていてでも薄い訳じゃなくてだから好きなんだけど難しい
聴いていてうっとなる感じ。これは私の好みの問題。

私などは都合の悪いところを変換してから歌ってくれるから豚様が好きなのだなーと思う
駄目かもしれないけど、でも考えなくてもいいときくらい肯定してほしいと思ってしまう。こういうとき本当に骨の髄まで彼の言うイエス様の作品から伝わってくるようなものが染み込んでいるのだろうなあ思う

やっぱり救いに流されてしまうので本質を見れる人は本当に強いなあということを思います。救いといっても「そんなんじゃ救われない」と思うものはたくさんあって、そういうことを言いたかったのかなあと思うけど14も私には難しくて大丈夫なのかなあと思っている。
それでも今日も救いを待つことしか出来ない。


さっきまでフルーツサンドを食べていたのに母と姉と言い合いをしていたら2階で寝ていた父も降りてきてなんだか分からないことになった。癇癪で頭痛い。自分含めてなにもかも下らないしもうしんじゃおうかなあ
しにたいときは豚様に書くお手紙の内容を考える(出すとは言ってない)全部なくなるんだったら何でも言えるなあと思うけど豚様の世界は続いていくよねえと思うけど私がしんだら全部が終わるので関係ないかあと思う。影響なんて何も与えることはないよと思うのですけど
色々と考えますがたぶんしないので許してほしいです。


今は割と世界を諦めることが出来ていて、日常はアタリマエの人たちに譲るからという気持ち。ハロウィンのとき豚様が「最近はハロウィンがパリピの物になっちゃって。あとコミケの日はそちらの人に譲るから!あとの日はこっちのもんだ」と仰っていてそういうのが私は嬉しかった。
だから今はあちらに譲っていて、自由にいれるときに自由にいたらいいから今は大丈夫。


朝までにやることがあるのにつまらない文章を書いてしまった。眠らなければ起きる時間まで3時間もある。

誰にとってもこれは無意味なひとりごと

毎日バス停から家までをゆっくり歩いたりとか玄関のドアを開けるのがこわいとか。外に出るのがこわいんじゃなくて中に入るのがこわい。とてもこわい。外はこわいけどこわいというより勝手に罪悪感がつきまとうのでまだ自分でなんとかしようとすることが出来る。中がこわくて今日は少しだけ寄り道をして帰った。香り箱のお寿司(もどき)を買ったのであとで食べることにする
原因はなんだとか対策できることはなんだとか冷静に考えようとはするのだけど考えると泣いちゃうので見ないふりで音楽を聴いてバスに揺られる


たまたま数時間後にブロマガが更新されていて祈りが届いたみたいでなんだかうれしくなる。いやな書き方をしてしまったので反省をした。単純である。
すべてのことは起きるから起こって、そこに意味なんてない。起こったことをいい方にいい方にテコでも動かすんだって誰かが言ってた。私も春を信じたいと思う。



襟を正して会いたいと思う人がたくさんいる。お友達と趣味のことで少ししか会う勇気もないのに服を選ぶのに時間をかけてしまうとか(ちよっと違う気がする)

とある解説者の方について、現役の頃からいいなと思っていて、今回もうれしかったのだけど(テレ東だけが気付いてる感じがさらにいいなあと思います)もしその方に会いに行けるとしたらとびきりお気に入りのお洋服を着て行くのだろうとかぼんやり考えた。かわいいと思われたいとかそういうことよりも襟を正して会いたいということ

それがバンドTシャツのときもあればたった一着だけ持ってるセシルマクビーのセーターのときもある、人によってとかあるいは場合によってとか。
あるとき某氏が川崎が地元だと訊いたのでクラシカルな格好で向き合いたいと思ったらたしか先攻がEで暑くてしにそうだった(当たり前だ)、後悔はしてない。場所も考えられるようになるといいねえと思う

何年か前、稽古の後だからとハーフ丈のジーパンとTシャツで誘ってくれた花火大会に行ったのはあれはよくなかっただろうと今になって思う。浴衣は無理だけどせめて襟は正すべきだった


私は私の神様に襟を正して会いたいから近くても遠くてもいつか来る「その日」のために小物を買い集めるし音楽を目を凝らすように聴く。隙間をついてはDVDを繰り返し見て、たしかに救いはあったと何度も何度も確認をして大丈夫だと言い聞かせる



例えば誰かの「いつも通り」を崩してしまうとかそうまでして垂れ流していたい訳ではないので本当に見えないけど探せなくもないみたいなところに隠した。それを崩したのはやっぱり駄目だった。もちろん私の問題で。優しい人たちに出会ったって遠ざけてしまうのはなんで。こちらも襟を正して会いたい方ばかりである

誰に何をしてほしい訳ではなく、だったらお前黙ってろと思うのですが確かに「あった」ことにしておきたいのです。無理やり見せないから許してほしい(誰に)
祈りはあったんだよ。更新される前に私はたしかに祈っていて、それがたまたま起こって。意味をつけて勝手に救われてまた表面上平気な顔をして過ごせていればそれで幸せ


お前の居場所なんてないと言われたのでしってたと呟いたら激怒された。責めているように聞こえたらしい。何においても問題は「外」にある訳じゃなくて、なのにいつも上手く言えない。

母について姉とぽつぽつ話をした。いつもそのことについてちゃんと話すことはあまりない。「こっちが負けて忘れるしかないよ」と言っていた

父がしきりに私の部屋に来て「あれは良くないよなあ」と言ってくる。たまに一人で箸で食器とかを叩いてる人とは思えないけどそれも直接当たり散らさないためなんだろうと思うと少し尊敬出来る。当たり散らすことも多いけどせめてもの自制なのかもしれない。意志が大事だなあと思う

少しだけここが何か辛いだけだよ

 

私を祝ってくれるのだそうだけど喜べない。喜ぶべきなのだろうし気持ちはもちろんありがたいしありがとうとは言うかもしれないけど心から感謝することができない。一ヶ月を切ってからみんなを振り回してどうしたいというのだろう。すっかり「娘を祝いたいのにあたしってかわいそう」モードになっていて私は困ってしまっている。そもそもめでたい気分でもないのだし、祝うとは、祝われるとは

トークのみと発表されて喜んだインストにもおそらく行けない。とても言える雰囲気ではない

仕方がないので欲しかった本や、気になっていたバンドのCDや、衣装や歌詞に合いそうな小物とかを買い集めている。君に会えたら死にたい曲ばかり聴いている。救いがなくてキャトルを聴いたらやはり泣きたくなった。その土地に合わないであろう(しかし私がお気に入りの)格好をしようとかぼんやり考えてやり過ごしている

どう過ごそうと「その日」は来てしまうもので、大丈夫と思っていてもいいのだろうか。私は無条件に付いていくことしかできないけれどどうかちゃんと見てる人に諦められてしまうことにならないようにそこにいてほしい

 

 

 毎日テレビを見ているけどわざとらしいインタビューや演技中でもない「パフォーマンス」にイライラしてしまう。技術はあるのかもしれないけれども跳べばいい、その動きをすればいいというようにしか見えない。表情もこわいと思ってしまう。私には良さがどうしても分からないのです。

机の中にはね 出しそびれたお手紙

 

今年の目標はピノキヲ「を」観に行くことだったので実現できて嬉しい。ちゃんと、というか前売りを買って楽しみにしていた。紫のシールがもらえてうれしい、かわいい

前髪を切りすぎたとか服が気に入ってないとか、開場からの入場が久しぶりとのこともありそわそわしながら入場。でもデセオはゲリラライブの時にドリンクを買い足したりしながら長時間座ってリビングのように過ごしていたから床の感触とか壁に既視感があり過ごしやすい。最近デセオばかりだなあ

後方には年齢が高めな男性がちらほらといらしてなんだかうれしいなあとなった。

 

幕が開いてステージのセンターに雄大さんがいらっしゃった。セクアンのことも結局タイミングが合わず観れていなかったのでとてもうれしかった。あれ出演者の中にシンナーズの名前あったっけかなと思っていたらシークレット出演だったようです。実質シークレットじゃないじゃない…なイベントはよくあるように思うけどこういうの感動する(私が気付かなかっただけで何か手掛かりがあったのかもしれないけれど)緑さんがアルタ前の伝説の後、関係者に「なんで媒体の人呼ばなかったの?」と訊かれてその時ああ~!ってなったお話をされて、「全く気付かなかった。だってシークレットだもんねえ?」と仰っていたのとてもいいなあとなったのを思い出していた。

噂に聞いていたけどバッとサングラスを外すのとてもかっこいい。危うさというのか、「酔っ払って地球と勝負」し出してもおかしくないような雰囲気があるように思った。初見がシークレットなんて贅沢だなあと思った。

最近はグルグル映畫館を聴いているので沼倉さんをお見かけ出来てとても嬉しかった。

なかなか歌詞を覚えていられないのだけど「お前の闇を愛してる」という歌詞が頭に残っている。

お邪魔します、というのがMCの一言目だった。何度もペコペコしながらおっしゃっていた。「やってみたかったの。もう言いたくて言いたくて仕方なかったの。でもそれはもうシークレットじゃなくなっちゃうからね!」「こういう形だと、言ってくれれば!ってお客さんもいると思うんだけどね、今回はこういう形でやらせてもらいました」

なんだか宝探しの隠し場所を教えたくなっちゃう子どものようで微笑ましかったです。楽しみにされていたのかなと思うとこの場に立ち会えてうれしいなあと感じた

ヌンチャクの技や、マイクスタンドを立てて男子小学生が言うような単語を連発する様子などは大真面目な表情なので自然と笑ってしまった。笑いながら片手間にやられてしまうとうってなるんだけど全力で真面目な顔をしていると安心して見ていられる。サングラスをかけて退場されていた。

小学生みたいな感想になってしまうのだけどライブハウスが大好きなんだなと思った。 いやもちろんみんなそうだと思うのだけど。アーポツアーに行ってみたいし出来ればセクアンのいるアーポツアーが見てみたいと思った。夏はいつも楽しそうだなあって見つめてるだけだ

 

緑人間もやっぱりとても楽しかった。その右の方のやつでいいから? 妥協?してるのかなあと思って面白くなった

細かい振り付けはやはりついて行けないけどちょこちょこ真似してみるのが楽しかった。見たままやるというのが苦手で困る。おまんじゅうの振り付けも未だに分からない。真ん中が近かったのでこわかった、そうだコードンがあった… 

シールを貼るタイムを見てほっこりしたのと、「聞きにくいからMC中のマイクをゲロゲロさせるのをやめてみようと思います。」というのがお優しいなあと思ったしゲロゲロという表現が面白いけどぴったりだなあと思った。金髪だったから緑を入れてすっごい嬉しいんだけど生虫さんにミドさんなんで青なん?と訊かれてガッカリしましたというお話をされていた

 マイナスはもしもし渋谷のミニアルバムが好きなのでサラバ重力(借)がとても嬉しかった、(仮)と掛けているのでしょうか そういえばこの曲のサビはいちばん好きかもしれない

 全く動いていなかったお姉さんが少しずつ動いていた気がしてそういうの嬉しかった。

 

ピノキヲは衣装が替わってから初めてだったので衣装に感動した。電源の光は外に出したかったというお話だったけどぼんやり光っていて綺麗だった。白色に思っていたよりも違和感がなくて客席やスカートの水色に映えるなあと感じたのでよかった

理想的家族の少年のラストでお尻がつるうゆにさん。「出来損ない」が絶妙なタイミングで来てしまってあっと思った

うゆにさんの中には切り替えのスイッチがあるように思って、分かっているから整理されていて見やすい。セガのゲームは世界いち!に行く前に状況を整理するうゆにさん。切り替えてからセガの〜に行きたいというコンテニューを思い出した。「それが好きなことがコンプレックスかのように」というお話、小中学生の頃(私は音楽に関してだったけれど)感じていたことに重なってじんわりした

なんにも意識せずだけど以前のアルバイト先がセガだったので(なぜか)ありがとうございますという気持ちになる。

逆さまに映る桜の木は今までどうしていいか分からなかったのだけどなんだかこの日は自然に入ってくるというか見入ってしまった。すごくよかった

文になってない気がするので書いていいのか分からないのだけど嬉しい告知があった。物販CDから2曲やったのもそういうことなのかなあ

「おじさんと勝負しないか?」「43歳の僕と会おう!」長く続けて下さることに感謝しなければと強く思った

次は水色を持っていこう〜と思ったので昨日はケミカルライトを購入した。いつになるか分からないのでまた購入することになるかもしれないけど

 

転換中、きっとこれが花嫁だなあと思う曲があった。好みの雰囲気だったのでゆっくり聴いてみたいです。それからうゆにさんのあとにはイワンのばかが流ていてとても良いと思った

 

 

ブログの設定を変えてみたのだけど大丈夫なのかなあと思っている

頭が悪い

色々言ってみたってやはり豚様が私の神様なのでつらい。気持ち悪いですよねと思います。

豚様しか見れていないときがあります。豚様自身を好きでいれているのかどうかももはや定かではないです。想像で作り上げた豚様を信仰しているのでは(やばめ)
期待が過度。非常によくないと思う。とはいえ私にはこれしかないので、ちゃんと見れる方が評価してくれればそれでいいなあと思います


かなしい文を読みました。私はそのときの楽しいを求めて行きたい、それが馬鹿だなあとか下に思われるならそれでいいし笑っておいて下さればと思います
私は正しいモブでいたいのです。自意識の強さというものは奇をてらうためだけにあるようには思えない。家畜にはなりたくないけれども。踊らされる前に自分の意志で踊っていたい。それも踊らされてるように見えるのでしょうから私はなにも言えない

因みにこれはエアリプではないです(今関わりがある方たちのことは一方的に好きでいるので)
ちゃんとした評価はちゃんと見たいと思っているのでバンザイしている人だけが好き、ということは決してないです。




どんな手紙を書いたとか忘れてしまうな。写メしたりワープロに残したりするべきだろうか。はずかしくてしぬやつ。きっとずっと同じようなことを書いてるんだろうなあ私は
ロコを聴いたときにふふふってなって私が書いているものって「あの人」からすれば遠い異国の話なんだよね、別に日常のことを書いているわけでもないけど
13の活動について、感想をお伝えするなら早いうちに書かなくてはなあと思いながらも。次が子どもの日かもしれないからさすがにそれは、、


私はずうっと頭が悪い。
そのままでいいよというのを見るのはとても安心するけどそれでいいとは思えない。
豚様はそれぞれに現実があって「どうにかまともに」やらなきゃいけないことをしっているし、「仲間だから手を離すよ」というのは(おそらく)変えられたけど離しても自分の意志で戻ってくるように改造してから離すよということだと思うし、考えなくてもいいときは考えなくてもいいとかそういうことかなあと思う。
そちらの方が私は嬉しい

どうせ私などは「歌ってほしいことを歌ってくれるから」豚様が好きなのだと思う。
いつまで経っても自分本位的にしか音楽が聴けない。

月光病




過呼吸気味に泣いて喚く母に掛ける言葉がなかった。原因が全部外にあると考えていることがすごい
どうにかしたいなあとは思うけど何を言っても無駄なのだろうなあと思った。なんかたくさん叩かれた。今日はそのような発作が二度ほどあった
二度目は姉に矛先が向いていた

横暴な父、哀れな母というのにパーソナルが当てはまりすぎるのだけど当てはまっていなかったらどのように聴いていたの

生きていればこんな日もある


いいものはいいので、お化粧じゃないところでもピンと来るものはあったりして。

たまたまどこかで流れていた「傘」という曲が好きだったのだけど昨日はやるべきことの合間にそのバンドの曲を流していた

”君から僕が見えなくてもいい”だとか”夢の中でしか夢なんて見られない”だとか、あっ となるものばかりだし、(これは本当にとてもよくないことだけど)豚様の仰ることと重なって見えたりもする。ぱやぱやとか左手右手とかね

いろいろと聴いていると歌詞の中に流れてきた高校時代の最終目標が私の高校の頃の夢と同じだった

バンド名を一度変えられていて、今のバンド名はこの曲名なのだと知ってなんとも言えない気持ちになっています。少しずつ聴いていけたらいいなあ
(私の感情をさておいても歌詞に一貫性があってとてもいいバンドさんだと思います)


それから好きな方が書かれた短編の小説を読んだ。とてもやさしいお話でした
軽率に感想を送り付けてしまって自己嫌悪に陥っていたのだけど「小説の中で自分の伝えたいことがほとんど伝わらないだろうと思っていた箇所があったけどいい読者に恵まれて幸いです」と仰って下さって見当違いではなかったみたいでよかったなあと。
私にとってこんなお話が読めた日がいい日だったりするので何度も読み返したいお話です


さっき起きて読んだ更新に案の定うっとなるし私はどこにいよう。13から中々抜け出せないのに14をすっ飛ばして5次元を考えることなんてまだ出来ない
細かい所ばかり気になるから私は動けなくなる。置いてかれちゃうからいい日のために今は進もうと思う

異端児たちを体感せよ


今日は無料なので罪悪感が少ないと思ったけどよく考えれば無料の方が罪はあるよなあと思った、けど折角そういった形で開催しているので利用させて頂いた。クズでごめんなさい

着くと転換中だったのでドリンク交換で氷結の白ぶどうと、アイスクレープを買って2階に上がった。初めてアルコールを飲んだのがここでの氷結グレープなのでアルコールを飲めるときは氷結にしてしまう(前は白じゃないぶどうだったと思うんだ)
千と千尋の神隠しの音楽?がずっとリピートで流れていて私は単純なのでしんみりしながらまくまくとアイスクレープを食べた。何も食べずに来たのでおいしかった。山梨に行くと食べる信玄餅クレープとの違いがあまり分からなかった

2階からラミエルさんを観た。上から見るってなかなかないのでおもしろかった。ボーカルの方が気を遣って小道具のイスを微調整してるのを見たり、トレンカが懐かしいなあと思ったり。上ギの方がテッシュを食べたり?ポスターの筒を客席に打つポーズだけして袖に投げていたのは何だったんだろう…?世界観が分からなかった。転換〜幕が開いた瞬間の期待感はあったのだけど
でも中二病の衣装が公開されたときにラミエルさんみたいという感想を持ったので、観ることができてよかった。
煽りが合っていないように感じた。ホールワンマンかなと思ってしまった
2階から見るバンギャルさんたちはかわいらしくて、折り畳みに微笑んでしまった。柵に飛び掛かって折り畳むやつ、見た目すごくかっこいいのでやりたいと思うけれども出来ないな。私は跳び箱も出来なければ鉄棒も出来ない。唯一の布団がフェイズでよかった(低い)


全体を見るにはとてもいい位置だったのだけど負さんは見上げて楽しみたいので下に降りた。負さんやEさんや、この先大きい会場ではどうするんだ?と思うのだけど惹れているものにたいしては下からみたいと思う。プラさんを上から見たことがあって演出が素敵なのでそれもよかったけど見上げるように手を伸ばす方が私は幸福的だった


音出しでネタバレかのように短命ですことか盛者とかの前奏が何度も流れたけどやはりセトリにはなかった笑
特に短命ですこは何度も流れたので少し踊った

僕の神様が今日も嬉しかった。たまたま手が当たり刺した後のペンが高速でくるくるくると落ちていったので綺麗だった
ゆけさんを直視出来ずに、でも終始ゆけさんを気にして見ていた。ゆけさんのステージングとても好きなのです…

新曲。なんで死んじゃいけないの?なんで生きなきゃいけないの?選択肢として肯定してくれるのはとてもうれしいなあと感じた。とても幸福だったので不幸なんですと聴くのはもういいなと思って、時間もあれだったので不幸自慢の横モッシュに紛れて帰った


すぐ後に私の神様がステージに立つというのに帰らなければ行けないことがつらかった。これは私のせいだから何を言えるわけでもないのだけど
ステージはブレイズ(オープニングのみ)以来観れていない。宿泊で改造人間を聴いてポロポロ泣いたあの感覚があるからまだすきだと言えている

かっこいい女の子が負さんを見に来ていて、enskまで残ってくれて、楽しんで会場限定CDまで購入してくれたようなのでうれしくなった(お隣の駅ではもともと好きな方の対バン出演があったのにこちらを選んでくれたんだなあと思う)
音源をいくつか渡して会場限定盤もいつかプレゼントしようと思っていたところだったのだけど買いたいと思ってくれたんだなあとじんわりした。あかんぼはその子に聴いてほしかったのでよかった


救世主について、カミュカフカに戻ることがどうして出来なかったのかななんてことを考えていて「中二病」なのに「14才」とは違うように感じる。
豚様の中では同じなのかもしれないけれども「お前らとは違うんだよ」というより「賢いボクだけが」というのが私は聴きたかった気がする

教室にナイフを持った不審者が現れたらまっすぐ私だけ刺してくれたらいいのにと思うので自分以外がいなくなる妄想をする豚様とはやはり違うのだなあと思うけどそういう人にしか救われないのだろうとは思う(めんどくさい)

年末の独り言放送(ネットラジオ)で「自分は例えば映画の中で真っ先にしんでいくモブの一人」ということをぅゆにさんが仰っていて、ああすきだなあと思ったのでした

自意識について

後輩に当たる女の子がとてもかっこいいなと思う。

横一直線に切り揃えた前髪とストレートの髪、爪を赤と白を交互に塗った手を手首から少し浮かせて小指はピンと張ってしゃなりしゃなりと歩き、お洋服や持ち物もそれどこに売ってるの?と訊きたくなるようなセンスの良いものばかり(訊かない)。

去年の春、どうせ誰も読まないだろうからと好きなように書いた私の文章(酷い出来のもの)を読んで「白塗りピコピコの界隈分かりますか…? ただでさえヴィジュアル系好きな人って少ないのに、聴いてるところが近いのかなって思って」と話し掛けてくれたのが最初だった

エレホもよく来ていて、私とは少しジャンルの違うところで全国を飛び回っているという
その子が好きなアーティストの主催にenskの出演が決まったときは嬉しかったり、負さんのことでお互いもやもやとしていたり、宿泊行事の際に行事そっちのけで夜中までお話をした

当日enskの出番の後に「今日のセトリこのまえ頂いたCDに全部入ってたから嬉しかったー!」と伝えてくれてそれが判るくらい聴いてくれたことが嬉しかった。私はステージを見てからではないとなかなか聴き込めないので素敵だなーと思う

日常ではやはり群れずに凛といて、私を見つけると「あっ」と真っ直ぐに歩いて来てくれるので上手く目を合わせられなくていつも申し訳ないなあと思っている
同じように、というのはおこがましいかもしれないけれど似たものを少しでも感じているその子が凛といることにすごく憧れる

先日打ち上げというものに行かなければならなかった日に、やっぱり一人でしゃなりしゃなりと歩いて打ち上げ会場へと移動しているのを見て何か声を掛けたかったけど出来なかったので私はクズ。ひとまず日常での関わりは薄れてしまうので、またライブでねとお話をして帰った

自分のぱっつん前髪をやめたり横の髪の毛(姫毛という単語はあまり使いたくない)をなくしたりして毎日つらいなあとのろのろと歩いていることが本当にかっこ悪いと思う。
こういたいというのと、そうならなくちゃというのと、どっちにも出来なくて中途半端って一番つまらないしよくないよと思った

いつも嬉しい。そういう風に言ってくれるのは。

父がロリィタを褒めてくれる。デザインも色も気に入っているものなので嬉しい。素敵だなと思って着ているので素敵だねと言われることが嬉しい。きちんと着れているかと言われたらそうではないし、とても似合うような容姿ではないけれども大切に着ていきたいです
ルールは本来ないのでそれぞれすきなように着て良いのじゃないかなあと思うけど、着る側としては自分の理想を持ってきちんと着たいなと思う。パニエとかお靴とか、ちゃんとしたものを揃えたい


会話について、とっさにこうすれば人間らしいかなと思って話してしまったりするので(非常によくない)、こういうことなんですねと確認されたりそれは違うのでは?と言われたりする度にそれそんなに重要に思ってないんですと思いながらいることがある。ごめんなさい。

考えていることと口に出すことがなかなか一致しない。アドリブをずっと続けているような感じで(あながち違わないのだけど)、何がある訳でもないのに焦って焦って伝えたいことが伝えられなくて、どうしたらいいんだろう

お話することはすきだし楽しいものだけど声を出すことや伝えることがコンプレックスでどうしようもない
伝えたことでさえ間違って伝わることがあるのに発信の段階で既に問題があって全部私のせいだと分かっているから早くなんとかしなくてはいけない
止まってしまったら駄目になるからとりあえず進むけどこれは止まっていることと何が違うのか

「人の本質はそう変わるものではない」「私が救う」「だからぼんやり待ちなさい」

それはすごく優しくてすごくうれしくてすごく救いなのだけど、どうしても私の頭の中がうるさくて「そのままじゃだめだったじゃない。」という結末しか考えることが出来ない


豚様はゴードンのような歌詞も歌うけど全部そのままでいいとは言わない。「うじうじしてる奴は上手くやる術を身につけてくださいね」というようなこともたまに仰る。それぞれに現実があって、それなり上手くやらなくちゃいけないことをしっているからだと思っている。考えなくてもいいときにそれから切り離すことが豚様の言う【救い】なのじゃないかなと思うのです

その辺りが2枚のアルバムの違いなのかなあともやもや考えている。その間のアリスやモンスターも現実を意識させるような歌詞があって、明らかに理想と現実を交差させていて。(ミニアルバムで宇宙で粒子まで分解されるあれ(転生中)、10で転生(再誕)、11で現実と交差、12で現実からの願い、13でお望み通り…)それを体感出来たのがあの停電だったのではないかなあ。DVDも観たりしているので思考がぐるぐるとする。

「仲間だから手を離すよ じゃなきゃたどり着けないとこでまた会いましょう」「また春に会いましょう!!!」「笑えそうかな? 次会う時にはねえ」

どうにもならないように思っても、近くても遠くてもそのときまでなんとかしていようと思う。止まらずにそうしていれば、変われなくても隠してそれなりやる術は見つかるかもしれない


朝が来たので少し眠ります

戦いに行くような、しにに行くような、救われに行くような、ぐちゃぐちゃとした気持ち。

もちろん全ての終わりではないのだけどひとつの物語の集大成ということでいろいろなことを思い出して過ごしています。キネマやクリスマス会や、強くなるための転生のターン、そしてウシノシタ団の復活…考えると鳥肌が立つ。強くなって帰ってきてくれた、これで終わらせて下さる。ぶうさんが強いと私は嬉しいのです。

 

えんそくと出会って、逃げ道というか抜け道というか、マリオカートの隠しルートのようなものを教えてくれたように思う。心が軽くなってこんな世界があったんだって本当に救われた思いがした。私はえんそくやぶうさんを知れたということだけでもう本当に生まれた意味があったなと思っていて、知らずにしんでいったらと考えるとこわいくらい。

 

初めてヘドバンをしたときのことや、壇上でゴードンを諦めていた日にぶうさんの言葉を聴いて回りたいなと思って渦の中に落ちるように足を踏み出したときの感覚をよく覚えています。そんな感覚がライブの中ではいくつもあって、ぶうさんが強いとその感覚が何度もあって、それが嬉しいということだけいつも感じていて。先日のブロマガを読んでぶうさんが「死」を与えているというお話をされていてあの感覚がうれしい理由ははこれだったのかあと思いました。

 

私はこうして同じような誰かがどうか一人でも多く救われてほしいと思う、なんて書くと宗教的だけれども本気で。(とある作家の方に感想をお伝えした際に宗教的に感じさせてしまったなあとか)

 

それと同時に、いろいろとよくないのだけど心配してしまったりすることもあるのです。私にとって一番いいもので、最優先で、救いなので、分かる人にだけ分かってほしいと思ってしまって。(何様だ。)

だけども分かる人を増やしていこうとされているように思えるので大丈夫だなあとへらへらしています。その分かるようにしたい人のターゲット(というより必然的にそうなってしまう)が日常にたのしいことばかりじゃない人とおっしゃっていたことがいいなと思った。

 「次の話」についても考えていて、青い炎はきっと赤より強い色なのでとてもとても楽しみにしている。会場でも掛かっていたように宇宙大天使土曜日やブルーハーツや、そんな曲たちがイメージされて、それがダークパワーのような赤よりも強いのなら素敵だと思う

 

一周回って目指していたはずのこの地点に帰ってきた訳で、続けてくださってありがとうございますということが言いたい。あの時豚様が自分だけ「悪者」になろうとされたこと(盲目と言われてもなんでもいいです)、それでも続けようとされたこと、全部全部報われますように。ニコ生で脱退当時について語る際に配慮というかやさしさが感じられてとてもうれしかったな。私はゴリラの丘がとても好きです。

 

 

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ライブや音源の感想を書けよと自分でも思う。すきなものの話をしていたい。


だけどどうにもぐるぐるしてしまって良くないのでここにまとめておこうと思います。きたないものなのでこれは特に読まなくていいものです


私は空っぽで、ぼんやりと生きている。楽しくお話をしていても次の瞬間には頭が真っ白になって黙り込んでしまうとか、つまらなさそうな表情をしていると思われることもきっとよくある。

昔から集団に馴染めない。嫌いとか憎いとかそういった感情がある訳ではないのになぜだろう。一部の人達にそんなに何も考えないのは何故?と思うことは少しある。「喋りかければ喋る喋らない子」としてただ教室の隅にいた。
本当にたまに、科学館に行く課題を一緒にやろうと言われて出かけたりロッカーの前などでお話したり、みんな私がしなないように気を遣ってくれていたのかもしれないなあなんて思うのは自意識過剰かもしれない。

幼いころの無邪気に声が気持ち悪いとよく言われたことが原因だろうか、いつも声がうまく出せない。ちょうどいい高さや大きさが分からずいつも喉や胸のところがくるしい。無理やり喋ると変な感じになる。表情も固く泣きそうな顔をしている。何か言葉を返さなければと言いたくないことをつい言ってしまう。

最近思い当たる症状があり場面緘黙について調べて、私はこれかもしれないし違うかもしれないなあと思った。調べてどうにかなるものでもないし病院に行くこともしんどい。

そういえばはじめましての方とは喋れたりする。これが自分でも本当に気持ち悪くて大嫌い。何度も会っている人を大切にしたいのにまっさらなことほど安心することはなくて本当にだめで、あの方にもはじめましてが好きですとか訳のわからない手紙を出してしまった。

(一度だけインストの撮影で「はじめましてー!」と大声で言われたことがある。お友達があの気にしていろいろ慰めてくれたけど私はむしろぽかぽかしていた。きっと私の思い上がりだろうと思うけれども。これはご本人にしか分からないことだし訊こうとも思わない。変なお手紙を出すのはやめよう。)

そんなことがたくさんあって、ぼんやりと絶望していてしにたかった。一生治らないと思ったし社会に出て生きていくことは無理だろうと思った。
一日でも休めばきっと行けなくなるから毎日毎日学校に行った。毎日しにたくて、期限があればがんばれると高校を皆勤して卒業したらしのうと思っていた。

高校2年のとき、ある大人しい女の子が某エアーバンドについてしっているかと声を掛けてくれた。彼らがブレイクを果たす少し前のことであった。何年か前からしってるよと返すと嬉しそうにしてくれた。

次の年の夏、その子が私と同じ話題に反応したツイートを見かけた。しばらく迷った末、「よかったらそれ一緒に行かない?」とめずらしくリプライを送った。それが七日間戦争だった。

1月、全てがひっくり返ってしまった。私だけが間違っていて自分だけしんでしまいたいと思っていたのに、地下のステージの上でヘンテコな格好をした「大人」が世界が間違っていると高らかに歌い、赤いマントを翻しのそのそと歩き回っていた。

「今地上で何かが起こっててライブが終わって外に出たらみんななくなってたらいいよね!ライブに来てた人だけが生き残るの。なんかさあ教室に不審者が入ってきて自分だけ生き残る妄想とかしなかった?あ、しなかった?」
くるくると表情を変え落語家のように喋りまくる。するとステージ袖からピーッと笛を吹かれる。喋りすぎているから曲に行けとの強制終了の合図なのだという。また吹かれちゃったよなんて笑って下を向き、カウントが入り顔を上げるともう戦闘モードなのである。

「後ろの人達ニコニコ笑ってくれてありがとう!嬉しいよ!だけどそれだけじゃそろそろ置いてっちゃうよ!!」
そのあと「何笑ってんだよ!!!」とも怒鳴り散らかしていた。これでも彼の(始まったばかりの)今年の抱負は「ピースフル」なのだという。なんだかめちゃくちゃだった。付いて行きたいと思った。ステージも見ずに首を振るという行為がそれまでどうしても理解できなかったのだけど、この日初めてヘドバンをした。

私が彼を好きなのは、劣等感による悪循環から思考を切り離してくれるからなのだと思う。
まさに山手線から中央線に乗り換えるが如く抜け道があることを、私は初めて知った。


彼は今も変わっていない。街に溢れる商戦を「意味のあるもの」へと変えてしまった。軸をしっかり持っていればどんな形に当てはめても大丈夫なのだということを感じた。
彼のモノサシがあれば、私が不安に思うことも大丈夫なのではないかなと思った。自分の軸を持てるのがきっと一番いいと思うけれど

そんな方がもうすぐあの丘に立つ。
「花が咲く約束の丘で待ち続けたあの頃のボクラはボクラに会う」、稔さんは何があっても見届けて下さいねと勝手に思っている。あの悔しそうな表情や小刻みに震える様子が目に焼き付いて離れない。彼は今笑えているのだろうか。もしその日ステージに乱入したってきっと誰も止めないと思う(してほしいとかそういう訳ではなく)
ゴリラの丘やマクマーフィーや色々な曲を私はよく考えて聴かなくてはいけない。


「皮」を被ってやり過ごしているのに、きっとそのための転生だったのに、表面だけを見て本気にされたらかなしい。分かる人だけ分かればいい。分かり合えなくなってしまったらかなしいけれどさようならだと思います。アタリマエを悪とすることを悪としたなら一緒にいるのはきっときついことだと思います。いつまでも一人同士で踊っていたかったな。だけどどこにいたって、笑えていたならそれでいいと思うのです。

世界で何を選ぶかはその人の自由で、選択肢はたくさんあって、私は一番正しいと思うから選んでここにいます。それが人によって違うことも当たり前だと思っています。選んだところで笑っていたらいいだけのことだと思います。
好きになれないものもあります。いいなと思うメンバーさんがいるのにある一人の人がステージ上から最前の人に汚いことを囁くのを聞いたこともあります(割と近い)黙っているのはすきなものの話をしていたいからです。

多くを感じられる方に出会えることは貴重なことだと思うから、どうかずっとその繊細さを大切にしていてほしいと思います