ルーズリーフ

ひとりごとを書いています

諦めろ

 

久しぶりにここを開いて、過去の私の書いたものを眉をハの字にして見つめることができるくらいには回復したらしいです。相変わらずだけど。

 

あの時と比べて少しだけ安心して生きれるようになりました。私は行かなくなるのがよっぽどこわかったんだねえ。かなしいね、わかるわかる。

狂い咲く準備はいつだって抜かり無く。たまには隙間をついて抜け出す気でさえいる。こっそりね。

脱法な1年間とちょっとだったなあ…今はハム。

 

自分の作った枠の中で普通のふりをするだけでいいと思えてから少し楽。置かれたなら置かれたまま、じたばた足掻かずに、にこにこと。嘘でもいいからとりあえずにこにこ。そしたらきっといいことしかなかった。

普通になろうとしたところで馴染めないと思うのです。きっと何かが欠けているのはずっとよく分かってた。そんなの物心ついてからずっとだよ

 

僕の歯車は、そんなに上等ではないし、やっぱり歯がかけたりはしているけれど、君の歯車とぴったりと噛みあう。だからひっそりと、二人だけで一生、回り続けることにしませんか

教えて頂いた小説の、とても好きな箇所。

 

自分が正しいだとか世界が間違ってるとどうしても思えなくて、ごめんなさいごめんなさいと馬鹿みたいに生きていて、だけど誰かに生きていてほしいと願ったときに思ったことは、間違った世界にたった一人で押しつぶされてしまいませんように、だった。

生まれたんだから、誰だってしぬまで生きたっていいでしょ? ひとつひとつ丁寧に考えて生きている、「流れられない人」が大半の考えない人たちで出来た世界に押しつぶされてしまうことが許せない。そういう人が少しでも安心して街を歩けるといいのに。

おこがましいし重ねるなって感じなのだけど、豚様や豚様の神様が歌ってくれてることがやけにすとんと落ちたというか、あと「灯台下暗し」だからあの単語なのかもしれないな、ということもいまさらながら思ったり。

ご自分を救うことはないってこういうことなのかもしれないな。

私はなにも照らすことができないけど、誰かを押しつぶしてしまう世界憎い!って思った瞬間、あっこれ初めて思ったなと思ったのでした。(思ったがいっぱい)

上手く書けないけど、あとから見て思い出せたらそれでいいよ。

 

それから、やんわり好きだった方が1月で音楽活動をやめてしまった。

2014年の漆黒で見て、とにかく世界観が好きで、壁にしかお客さんがいないようなれっくすによく通っていた。(れっくすはアルコールの特別メニューもピックで交換できるのでとても良い)

園児さん(当時)も対バンでいい意味で結構ざわつかれていたイメージだったのだけど、お見かけすることはなかったな。

去年解散してしまわれたのだけど、1年間活休を挟むということはやはり大きいのだろうか、それから名前を変えてしまわれたことで…と思うのだけど、今更という感じだし、しかも私が考えるべきことではない…

とにかく、もっと見ていたかったなあ。

 

哀愁のような妖しさのような刹那のような素敵な歌を歌う人だった。

人見知りだしコミュ障だけど、

と、ステージの上から伝えてくださっていた。そういうのを知ったのは後半だったけど、気付かぬうちに似たものを感じていたのかどうか…

 

enskともまた対バン被ってほしかったな。始動し始めたキラキラした方達との対バンが多かったのでもっと多くのちゃんと見るバンギャさんに見てほしかったという気持ち…(そこは擬態すらしないような人もいる世界だった。もちろんそんな人ばかりではなく見た目は怖いのに地味な私にもすごく優しかったお姉さんもいて、そういう方ってバンドも「ちゃんと見ている」もので。)

 

バンドでもセッション活動でも、物販で自由に話せるようにして下さっていたのだけど一度も直接話すことは出来なかった。
最後にこっそりお伝えしたら、文字上ではあるけどやっぱりお優しくて素敵な方で、ああ間違ってなかったな、と思った。本当に勿体無い。なんていちファンのエゴだけれど…

 

これからもどうか、幸福的に過ごされますように。

 

「少女は幸福的な気持ちでライブハウスを後にするのでした。」

 

この世界観に今も随分と救われているよ。