ルーズリーフ

ひとりごとを書いています

ラブレターを書くね


すっかり音源ギャというものになったなあと思う

「変な音楽」「気持ち悪い音楽」「オタクみたいで気持ち悪い」「暗い」「こそこそしやがって」
受け取るにも値しない言葉たちを一方的に投げられる。揺るがない覚悟だったのに疲れてしまった。絶対に間違っているのにそれを跳ね返す気力がない。「あたしかわいそう」と言葉通りに泣き叫ばれたけど、うんとしか言えなかった

「クラスにオタクの女の子がいて好きなものについて何か言われるとすごく怒ってたのを覚えてる。あんたもその子と一緒だよ、気持ち悪い」
オタクだろうとオタクでなかろうとその人の問題なのじゃないの?と思うけど伝わらないだろうな。その子がどんな人だったのかは分からないけどそちら側の視点の話しか聞いていない訳で、一つのものに深く入れ込んでいない人には理解出来ない部分があったのかもしれない、とも思う。周囲の人達がわざわざ踏み躙る必要はあったのだろうか。
私は分かってもらうことは初めから諦めているからせめて無関心でいてほしいのにそういう発想すら彼らにはないので、そう思うことも無駄なのでしょうから疲れてしまった。
本当のことは言ってやるもんか、いいことしか言わないイイコの人形になろうと思うのにそれがどうしても難しくて毎日嫌になる



少し前の豚様を見た。とてもニンゲンだった。「やあ気付いたね」の歌詞が好きだなあと思った。モンスターズや1999年のブルースが思い浮かぶような歌詞もあって、ちゃんと物語が引き継がれているなあということも思った。表面ではやはりキラキラをそれなりにこなせてしまっていて、すごく人間らしくて、今の豚様を見ている訳ではないのに不安になった(当時もゲストボーカルとして呼ばれてそちらに合わせただけのことなのでしょうと思う)

物語を終わらせて、今はどちらかと言えばニンゲンに近いのかなあと思うと不安になるのでちゃんと見たい。だから行きたいのに、行けるのに、なあ
籠女へをずっと聴いている。こうする他にはなかったんでしょ?というのを聴くだけで13日を簡単に諦めてしまった。私はどうしても全てを私の歌にしてしまうからよくない

好きな作家の方たちがそのままでいいよ、ということを言うけどこのままじゃ駄目だよという不安感が常にある。2日前にグルグル映畫館の『そのままでいいよ。』というミニアルバムを見つけたので購入して聴いた。最後に「そのままじゃだめだったじゃない」という言葉が出てきた

このままじゃ駄目なのにどうにもならないことはどうにもならなくて、

「じゃなきゃたどり着けないとこでまた会いましょう」

どうにかそれまではなんとかしていようと思えるから豚様の書く歌詞が好きだなあと思う

拝金主義のようだけど、お金を落としてもいないくせに手紙なんか書いていいものか…とお手紙を出せないでいる(書きたいことは十川氏の感想等なのだけど、)しぬ前には遺書ではなくてあの方へのお手紙を書きたいのに

そんなのは迷惑だし私はしなないということを、私はちゃんと分かっている。