ルーズリーフ

ひとりごとを書いています

誰にとってもこれは無意味なひとりごと

毎日バス停から家までをゆっくり歩いたりとか玄関のドアを開けるのがこわいとか。外に出るのがこわいんじゃなくて中に入るのがこわい。とてもこわい。外はこわいけどこわいというより勝手に罪悪感がつきまとうのでまだ自分でなんとかしようとすることが出来る。中がこわくて今日は少しだけ寄り道をして帰った。香り箱のお寿司(もどき)を買ったのであとで食べることにする
原因はなんだとか対策できることはなんだとか冷静に考えようとはするのだけど考えると泣いちゃうので見ないふりで音楽を聴いてバスに揺られる


たまたま数時間後にブロマガが更新されていて祈りが届いたみたいでなんだかうれしくなる。いやな書き方をしてしまったので反省をした。単純である。
すべてのことは起きるから起こって、そこに意味なんてない。起こったことをいい方にいい方にテコでも動かすんだって誰かが言ってた。私も春を信じたいと思う。



襟を正して会いたいと思う人がたくさんいる。お友達と趣味のことで少ししか会う勇気もないのに服を選ぶのに時間をかけてしまうとか(ちよっと違う気がする)

とある解説者の方について、現役の頃からいいなと思っていて、今回もうれしかったのだけど(テレ東だけが気付いてる感じがさらにいいなあと思います)もしその方に会いに行けるとしたらとびきりお気に入りのお洋服を着て行くのだろうとかぼんやり考えた。かわいいと思われたいとかそういうことよりも襟を正して会いたいということ

それがバンドTシャツのときもあればたった一着だけ持ってるセシルマクビーのセーターのときもある、人によってとかあるいは場合によってとか。
あるとき某氏が川崎が地元だと訊いたのでクラシカルな格好で向き合いたいと思ったらたしか先攻がEで暑くてしにそうだった(当たり前だ)、後悔はしてない。場所も考えられるようになるといいねえと思う

何年か前、稽古の後だからとハーフ丈のジーパンとTシャツで誘ってくれた花火大会に行ったのはあれはよくなかっただろうと今になって思う。浴衣は無理だけどせめて襟は正すべきだった


私は私の神様に襟を正して会いたいから近くても遠くてもいつか来る「その日」のために小物を買い集めるし音楽を目を凝らすように聴く。隙間をついてはDVDを繰り返し見て、たしかに救いはあったと何度も何度も確認をして大丈夫だと言い聞かせる



例えば誰かの「いつも通り」を崩してしまうとかそうまでして垂れ流していたい訳ではないので本当に見えないけど探せなくもないみたいなところに隠した。それを崩したのはやっぱり駄目だった。もちろん私の問題で。優しい人たちに出会ったって遠ざけてしまうのはなんで。こちらも襟を正して会いたい方ばかりである

誰に何をしてほしい訳ではなく、だったらお前黙ってろと思うのですが確かに「あった」ことにしておきたいのです。無理やり見せないから許してほしい(誰に)
祈りはあったんだよ。更新される前に私はたしかに祈っていて、それがたまたま起こって。意味をつけて勝手に救われてまた表面上平気な顔をして過ごせていればそれで幸せ


お前の居場所なんてないと言われたのでしってたと呟いたら激怒された。責めているように聞こえたらしい。何においても問題は「外」にある訳じゃなくて、なのにいつも上手く言えない。

母について姉とぽつぽつ話をした。いつもそのことについてちゃんと話すことはあまりない。「こっちが負けて忘れるしかないよ」と言っていた

父がしきりに私の部屋に来て「あれは良くないよなあ」と言ってくる。たまに一人で箸で食器とかを叩いてる人とは思えないけどそれも直接当たり散らさないためなんだろうと思うと少し尊敬出来る。当たり散らすことも多いけどせめてもの自制なのかもしれない。意志が大事だなあと思う