ルーズリーフ

ひとりごとを書いています

明日世界が終わっても大丈夫


きっと泣いたりするだろうなと思っていたのに
違う世界の話というか人ごとみたいに毎日をこなしていて、同期の女の子たちが泣いたりしているのを見てそこでじわじわかなしくなったりする。なんで真面目に考えちゃう人がそういうことになっちゃう世界なんだろうか

私はたぶんこれを日常として捉えられていないくて、今だけだよ今だけだよとただ瞬間をこなすだけで、それがすべてだとは思っていない。たまに後ろめたさみたいなものも感じる。
これは強い強い私のヒーローに切り離してもらったからなのだろうか。

普通に(普通を装って)生きれる魔法がずっとほしかったけど、これは叶ったと言えるのだろうか。ぼんやりと、ペテンなんかじゃなかったと豚様にお伝えしたいような気持ちがする。そんな気持ちがするけれども「これはペテンなんかじゃない」と歌っているのは豚様なので、別に不要かと思う。

あと、まあ色々なひとはいるけれども集団での暗黙のルールというか、だいたいの空気があって(私のいる会社は人数が多くないことも関係しているような気もする)あとマナー?みたいなもので共通認識されていて、

何で怒られていたか分からなくなることがあまりないし
理不尽というものをあまり感じなくて、
理にかなったことを遂行すれば良いし出来ないならそれはただ自分のせいであるだけだし、なんだかすごく気が楽。

みんな何を言ったって、教えていただいたように仕事は「手段」なんだと思う。

家にいるとき感じる理不尽さとかがないのは他人であるからなんだなあと思う。家族でも他人は他人なのだけど
それもまあ大丈夫で、行けたときに楽しむだけだし間が空いてもそっちを日常にしてしまえばいいとか思ってしまっている
(ぅゅにさんはちゃんとライブを非日常としているからえらいと思います)


あとは「ノリのいい」人たちであるから染まれなくてごめんなさいという感情なのだけどみんなとてもお優しい
思っているより世界は大丈夫なのである
それを知っているから、目の前のことに焦りながらもなんとかしていられる
(大きな失敗とかってこれから絶対あるだろうから油断大敵ではあるのだけど)

するべきことをしようというだけでそこに感情はあまりなくて、なんだか明日も大丈夫な気がする。