ほっとしたくてほっとしたときのことを考える
お芝居をするのがすきだった。特に高校の部活はよかった。毎日ある程度折り合いがつくまで考えて、毎日そんな時間がたくさんあった
時間がなくなることを知っていたから時間を無駄に使いました。あとどうせしぬのだしとか…
お芝居の好きなところは気持ちがどれだけ強くても一方的でも冷静に客観的に観てもらえるところ、しつこさが許されるところ。
拘ってても誰も何も気にしてなかったりとか、たまにすごい気づいてくれる人がいたりとか、自分が意図していなかったところまで深読みしてもらえたりだとか。
勝手にやって勝手に受け取ってもらえるのがよかった
あとは見せる部分を切り取れないし、どちらも面とか視線とかを意識しているところが
一度だけ、カーテンコールに行く前に照明が落ちていく中ふわ〜と自然発生した拍手を浴びたのはとても心地が良かった。弱めのシャワーみたいにやさしかった
ホットミルクを飲んでいるときみたいにリラックスして余計なことを何も考えなくてよかった。
暗闇に光る何かを観た。
ギリギリまでスピードを落として落ちて行く夕方の照明と、自分の着ているサテンの緑と、お人形の黄色やオレンジと、人形劇の背景の緞帳みたいな板のビロードのワインレッドと、視界の隅にたくさん色があってきれいだった
嫌なことを考える隙がなかった。架空の世界のことだけ考えていていいような気がした。
私には時間が足りない、いくらあっても足りない。どうしても変なことになってしまうのは、時間の感覚が人と違うからなのだと思う。
なんとか考えなきゃいけないと思ってるうちに言葉を話すと頭が真っ白になる。まあもとからからっぽなのですけど…
たくさん考えることが好きだったのにたくさん考えることで折り合いをつけて安心して世界と向き合っていたのにそれをしていると上手くいきれないから手放した
かと言って上手にいきれる訳でもなく毎日が本当虚しい
さっきまで酒臭い電車の中でしにそうになりながら考えていたことでした。