ルーズリーフ

ひとりごとを書いています

「これきりだけ」と三輪

この木なんの木気になるトゥリー

絶望の丘、Sink、ガーベラ、メランコリック

まず、豚様が歌詞を読み込むなり聴き込むなりして覚えたという事実がもうすでにありがたい…嬉しくってプラさんに行くようなお洋服を引っ張り出して着ていった。

まさか豚様の歌うメランコリックで折りたたみをする日が来るとは思わなかった…「分かる奴が先導してやれ!」と仰っていたけど周辺で手を挙げている人達が先導するタイプには見えなかったのでちょっとにやにやしてしまった、そうだよねえプラを聴くような人達だもの

煽りはわたしはああいう竜太郎さんに沸いてしまう人間なのでうれしかった…

見に行ったお話はブログで読んでいたので実際に少し聞けてよかった(インスピレーションを受けて天井から「ししゃも」をつるした話)。共通点があってよかったです。だけども世界観も近しいときもあったりして、空白の日や1999や最終列車なんかも豚様ぽいなあと思うときがある、他のバンドを聴きながら考えるなよって話ですが…そりゃあ違うことには違うのだけど、「目覚めたら君が好きな全てで世界が変わっているから」というやさしさと「そんなことは絶対起こらないですけどね」というやさしさと

「日に向かう花になれる気がして」「別に嘘でもいい。そんな気でいよう」十川さんと繋げてガーベラを選んでくださった(お花の曲を選ばれてから十川さんに盛り込んでくださった?)のも良かった。歌詞も、これは意図的に重ねていらっしゃるように思います。本当にありがたい。

sinkやガーベラで手を伸ばす豚様は完全に竜太郎さんのそれでそういうように豚様の歌を聴けるなんて思っていなかったので不思議な感覚がした(遠足の曲でもじっとして手を伸ばすように聴きたい曲がたくさんあるので)

竜太郎さん竜太郎さんゆうておりますがアキラさんも職人みたいでとても好きです(アキラさんは以前やじを飛ばし続けてしまうファンへ対しての言葉がとても良かった。怒る訳ではなく、あのね、それでねと落ち着いてそのままを伝えていて良かった)ケンケンさんも正さんもとても素敵なので、えっと、忘れないであげてください…!

 

十川十三の三花坊主

11日にお別れをして、12日に刻み込んだような気持ちだった。前回はちゃんとお別れできなかったから、行けてよかった。新曲はとてもやさしい曲だった。3回だけのために音源化しない曲を書いてくださったことが本当に嬉しい。なんで2回しか聴けないんだろうって(単純に)すごくかなしくなってしまった

忘れたくなくて、音楽を聴かずに頭の中で何度も繰り返しながら帰った、まだちゃんと憶えています。ガーベラを聴き込んでから書いてくださったのかなと思う。僕を忘れるでしょうのあたりを本当にやさしく歌っていらしたのが印象的だった

それから花唄…!皆がモー娘。とかを聴いてる中、花唄だけは賑やかなのに好きだったからても嬉しかった。また“豚様が””十川十三として““あのような歌い方で“歌うので本当に良くて、とても幸せな時間だった

11日はとても良かったけど、曲順に関しては12日が11日のものだったらかなしかったんだろうなあとは思う

 

十川十三について

よくないとは思いながらも十川さんのことが好きだった。ぐちゃぐちゃでぐるぐるな日がなんかいっぱいあって、それまで縋るように“そういうもの”が豚様の中にあると思って聴いていたので、濃度高く仄暗いものを歌って下さったことは本当に救いで、それこそのめり込んでしまってあっという間に「私の歌」にして反癪してしまっていたと思う。本当に良くない。

本当はだから「暗い」とか「十川の歌は好きじゃない」とか仰るたびに心臓がえぐられる気持ちだったのだけどでもちゃんと豚様の言うことも分かってはいて…つい俯いて何も見えなくなってしまいがちだけれど、私が行きたいのは“そっち”なので、ちゃんと「本活動の豚様」についていけるように頑張りたいと思った

私にとっての十川さんはちょうど冬のこたつやお布団と同じことなのだと思います。外へ出るのが億劫になって、居心地が良くて出れなくなって、だけどもずっとこたつやお布団の中にいることなんて出来ないから切り離して笑えるようにしなくてはいけないのだなーと思う。

それの後押しをしてくださるような、でも無理やりではなくて、ちょうど花の香りのようにふんわりと穏やかな気持ちになれるような、三花坊主の曲や歌詞にぐわあとなって、駄目だ駄目だと思いながらもやっぱり泣くことしか出来なかった

私は例えばアリスとかマッケンローもそういうことかなと思うのだけど笑えるときにはなるべく笑うべきで、暗くなってる場合じゃなくて、だけどそうできない人のための歌を豚様がこれからも歌ってくださるのできっとこれからも大丈夫だと思う。最後に刻んでくださったことはよかった

記憶の中の十川さんに甘えて「私かわいそう」をしていきていくことは簡単だと思うけどそうしたい訳ではないので、無理やりでも笑えるように春を待ちたい。(活動再開のこととか籠女へのこととか、考えながら歌詞を見返すと本当に…)

張りつめたというのかそこまで思い詰めていた訳ではないのだけど活動休止ですがるものが目の前にはない期間に十川さんが帰ってきてくれたことはありがたいことだった

豚様は豚様でしたが、完璧な十川十三をされていたら(はにかみながら首を傾げられていたりそういうことがなければ)帰って来れなかったと思う。豚様は“こちら側”の人間ではなくて、それは良いことで、たぶんだから好きになったと思う。雑に弾いたり嫌悪するのではなくてこっちおいでってしていてくれるから私も行きたい、ってなるんでした

これを書きながらも何度も視界は歪んでしまうけど豚様が消えていなくなってしまう訳ではないので…春がきたらまた本活動で笑えるようにこの冬のうちはたまに十川さんのことを考えながらでも日常をなんとか耐えてやっていこうと思う

十川さんとお写真が撮れることは後にも先にもこれだけなので行ったけど待ち時間とか撮影とかふわふわとしてしまったしまた私の問題でかなしくなった。馬鹿を晒しに行ってるみたいで嫌だなあと思った、日常でも買い物をしてお釣りだけを受け取って帰ろうとしてしまうような人間なのでこういったことは本当は向かないのだと思う。そんなものだと受け入れて意識がどこかへ行ってしまうのを繋ぎ止めなければと思う。

 

次の日が13月の13日だったから、2日間のことをいっぱい考えた。まだ忘れたくないな。