ルーズリーフ

ひとりごとを書いています

世界が土砂降りの雨だろうと


少しお話をしたのでいつもより緊張がとけた状態でトークを聞けた。ただ雨だったせいか私はふわふわとしていて、壇上もふわふわしていたように思って、そのまま終わってしまった。

そのまま帰るのが名残惜しくて電話をしたらいいよと言われたのでそんなもんかと拍子抜けした。(勘違いをされていたようで帰ったら色々言われたけれども、もう行ってしまったしなあと思った)
クレソンのハンバーガーがあったので食べた。パンなしがあったのでありがたかった(パンが得意ではない)

自主盤に着いて傘を畳んでいたら店員のお兄さんが傘袋を広げて待って下さっていて、申し訳ない気持ちで傘を入れた。気を付けたけど手に水が付かなかったか心配だ
自主盤は店員さんがお優しいのでいつもとても行きやすい

やはり自主盤の方が聞きに来てよかったなと思えたのでよかったです。
印象に残っているのは最後の質問で、どちらも分かるからうーんとなる。ただ誰かが楽しませてくれるとか思っている人の質問ではないように私は思ったのでそうなっちゃうのはなんだかかなしかった

全曲やって下さるお話はうれしかった。たまに行けたGロッソとかで一気に聴けたのがとてもありがたいなあと思うので
これ買わずに出て行きづらいな?と思ったけれども、チェキは購入せずにお店を出た。


いやなことを言ってしまわなかったか不安になった
またそういうとき黙ってしまうから駄目だなと思った

明日世界が終わっても大丈夫


きっと泣いたりするだろうなと思っていたのに
違う世界の話というか人ごとみたいに毎日をこなしていて、同期の女の子たちが泣いたりしているのを見てそこでじわじわかなしくなったりする。なんで真面目に考えちゃう人がそういうことになっちゃう世界なんだろうか

私はたぶんこれを日常として捉えられていないくて、今だけだよ今だけだよとただ瞬間をこなすだけで、それがすべてだとは思っていない。たまに後ろめたさみたいなものも感じる。
これは強い強い私のヒーローに切り離してもらったからなのだろうか。

普通に(普通を装って)生きれる魔法がずっとほしかったけど、これは叶ったと言えるのだろうか。ぼんやりと、ペテンなんかじゃなかったと豚様にお伝えしたいような気持ちがする。そんな気持ちがするけれども「これはペテンなんかじゃない」と歌っているのは豚様なので、別に不要かと思う。

あと、まあ色々なひとはいるけれども集団での暗黙のルールというか、だいたいの空気があって(私のいる会社は人数が多くないことも関係しているような気もする)あとマナー?みたいなもので共通認識されていて、

何で怒られていたか分からなくなることがあまりないし
理不尽というものをあまり感じなくて、
理にかなったことを遂行すれば良いし出来ないならそれはただ自分のせいであるだけだし、なんだかすごく気が楽。

みんな何を言ったって、教えていただいたように仕事は「手段」なんだと思う。

家にいるとき感じる理不尽さとかがないのは他人であるからなんだなあと思う。家族でも他人は他人なのだけど
それもまあ大丈夫で、行けたときに楽しむだけだし間が空いてもそっちを日常にしてしまえばいいとか思ってしまっている
(ぅゅにさんはちゃんとライブを非日常としているからえらいと思います)


あとは「ノリのいい」人たちであるから染まれなくてごめんなさいという感情なのだけどみんなとてもお優しい
思っているより世界は大丈夫なのである
それを知っているから、目の前のことに焦りながらもなんとかしていられる
(大きな失敗とかってこれから絶対あるだろうから油断大敵ではあるのだけど)

するべきことをしようというだけでそこに感情はあまりなくて、なんだか明日も大丈夫な気がする。

まきちゃんの話



(去年の4月28日に書いて下書きに眠っていたもの。昨日のトークで思い出したので)



まきちゃんというお友達がいる。

高校の時の話。それまで人見知りではあるもののそれなりに生きていた。しかし高2のクラス替え後、知っている人は男の子が一人いるだけだった。まきちゃんも知らないクラスメートの一人だった

SNSで繋がっているようだった。mixyってなに、ラインってなに。

初日の身体測定で、ある女の子Aちゃんと初めてお話をした。気が合ったようで、おもしろくて黙る隙もないくらいずっと喋っていた。私もとてもとても甘かったのだけど、これからAちゃんやAちゃんの知り合いとお話をしてなんとなく溶け込んで高校2年生を始められるものなのかなあと思っていた。

だんだんと、Aちゃんには3人の友達がいるのだなあと分かった。4人は同じ吹奏楽部で、とにかく厳しい部活動をめまぐるしくこなしていた。


なかよくなれたらいいなあと思っていたのだけど、その中のBちゃんがいつもAちゃんにべったりで、Bちゃんにも話しかけてみようにも、いつもあからさまに私に背を向けていた。Aちゃんは申し訳なさそうな顔もしていたけど、Bちゃんに連れられていくしか出来なかった。仕方が無いことだなあと思った
Cちゃんは見て見ぬふりを貫いた。もう一人の子はそんな3人について行きながらもたまに「気にしなくていいよ」と私に囁くことがあった。それがまきちゃんだった。


あくまで推測だけれども4人で出来ていた聖域に私が踏み込んだことで
BちゃんはAちゃんを取られてしまう不安を感じている
AちゃんはBちゃんと私との間で板挟みのような気持ちになっている
Cちゃんはなんか気まずいから早く何とかならないかなあと思っている
まきちゃんは私をスルーすることもつらい
という状況になっているのでは、ということを考えた。
私はそれを無視してまでそこにいたいと思わなかった。


私はお話をしたい子とお話をしたかっただけだったので、このグループに馴染めなかったから次のグループへだとかは考えなかった。
別に一人でいいなあと思った。こうしてクラス替えから一週間後には一人で過ごす構図になっていた。これから二年間。大丈夫だったし、とにかく大丈夫だった

春の遠足も黙々と山に登りお弁当を食べ、下った。ただ、バスが学校につき解散をしてトイレの個室に入ったからしばらく声を殺して泣いた。次こうして緩んでしまったらもう学校には行けなくなると思った。それで毎日毎日学校に行った。もう泣くことはなかった

みんな程よく見ないふりをしてくれていた。興味を持ってくれたのか不思議なことに教室を出ると「連休中に科学館に行く課題一緒にやろうよ」などとメールでお誘いをくれる子もいた。気を遣ってくれていたのかな(あの子しんじゃいそうだから順番に声をかけてあげようとか相談されていたとしたらそれはそれで面白いなあ)
今ライブに行っているお友達もこの教室にいたうちの一人だったのである

だけど教室に行けば夢だったかのようにまた当たり前に元に戻る。私を含め、みんな決まったところで決まった役割をしているみたいだった。それが今でも不思議だしとても興味深い


私の高校ではお寺に泊まりがけで研修に行く行事があったのだけど、行き帰りのバスの座席決めの際にまきちゃんが私を隣の席に指名した。ごめんねと思った。気を遣ってくれたのだろう。教室ではきっぱり一人でいることを選んでいたので、まきちゃんとは久しぶりに喋ってバスで色々なお話をした
そこで初めてメールアドレスを交換した。高校生の間ではもうラインがすっかり定着していたのだけど私はガラケーだった

研修の服装は制服にジャージ、サブバッグは学校のカバンと決められていた。私はそれを守ったのだけど私以外みんなお洒落なリュックやバッグを持ってきていて、まきちゃんはチアリーダー部が使っているのとよく似たボストンバッグを持ってきていた。

「まきちゃんなんでチア部のバッグよ(笑)」
『いやー妹がコレ使っててさ!チア部に入ったみたいだよね』

この会話を、色々なクラスメート達とするのを私は研修中に何度も聴いた。


研修から帰り、代休の連休が空けて少ししてからまきちゃんは放送で職員室に呼ばれることが多くなった。そしていつからか学校に来なくなった。風邪かしらとお見舞いのメールを送ったのだけど返事はなかった。

しばらくして、ホームルームで担任からまきちゃんが停学処分になっていることを聞かされた。まきちゃんが研修に持ってきていたカバンは、チアリーダー部が揃いで使っているボストンバッグを盗んだものだったという。朝練のために教室に放置されたボストンバッグの中身をゴミ箱に捨て、外側だけを持ち帰ったということらしい。


まきちゃんはそんなことをするようには思えなかった。それから、ただ欲しかったのならかばんだけ家の部屋にしまいこんでしまえばよかったのに、何故それを研修に持ってきたのだろう。学校で盗んだものを学校の行事に持ってきてしまえばバレてしまう確率は高い。
私はもう一度なにかメールを送るか悩んだけれど、やめた。なんと送ればよいのかわからなかった

Aちゃんたちは三人になって、たまに体育で二人組になる時に必然的に私とその中の誰かとでやったりした。変わったのはそれくらいであとは当たり前に日常が進んだ


高3の夏にまきちゃんは戻ってきた。
「迷惑をかけてごめんなさい。今日からよろしくお願いします」
転校生の自己紹介のように教卓の前でまきちゃんはぺこりと頭を下げた。


最初の時間割は体育だった。ふと気付いたらまきちゃんが隣にいてずっと喋り続けていた。そっかそうなるよねえ、と思った。妹がキノコ柄の便箋をかってきたとかそのときそんな話を聞いた気がする。これは触れない方向がいいのかなと思って「そうなんだ、どこで買ってきたの?」とかそんな当たり前の話を、気付いたら毎日していた

まきちゃんはよく嘘をつく。バレバレの。私はそれがとても好きでいる

たとえば、当時私は好きなアーティストのキャラクターのパスケースをつけていたのだけどある日待受を私に見せて「見て!好きって言ってたキャラクター、携帯に元から入ってたの!」というのだった

まきちゃんは自分の保身とか自分をよく見せようとか、得をするための嘘はつかない。嘘をつくことで一時でも「わっ」とその場が盛り上がることが嬉しいのだ。と私は思っている

細かい嘘が度々登場するのだけど私は指摘はせず全てにわっと喜んだ。卒業して今もたまに会ったりするけれどカバンの件の真相や嘘をつく真意ついては未だに触れることが出来ない

まきちゃんは高校時代何を感じていたのだろう。クラスメートと同じように見ないふりを貫いていた私に何か思うことがあっただろうか

先日まきちゃんとお酒をのんだ。「モヒートが好きでよく飲むんだ」と言って頼んだのだけど半分も減ってなくて、大丈夫だったかなと思った。ミントが飲めるなんて大人だね、とわっとしてあげるべきだったのだろうか、懐かしい気持ちになった


その後の話をすると、高3の終わり頃からBちゃんは筆箱にカッターを忍ばせ手甲側の指に無数の浅い傷をつけていた。Bちゃんにもやるせない何かがあったのだろう

だけど電車で化粧をすることと同じように、人前でするなんて馬鹿ねと思った。こんな事を思うのは冷たいかもしれないけれどBちゃんのそれはきっと気を引くための行為でしかないし、そんな浅い傷ではすぐに消えてしまうね。
「Bちゃんやめなよ…」Aちゃんは繰り返し呟くばかりだった。Cちゃんは相変わらず見ないふりをしていた
それを見てまきちゃんは何を思ったのか

これは偏見になってしまうのだけれど全体として吹奏楽部という団体が私はとても苦手だった。機械のように朝から晩まで練習をこなし、そこにいれば「安心」している人間が多くいるように感じたのだ。実際吹奏楽部の勧誘は、一人でいる新入生に取り入るように行われているのをよく目にした(全員がそうと言っている訳ではない)私もよくしつこく声をかけられたけれども地下の先輩部員しかいない部へと逃げ帰った

これは本当に本当に私の勝手な憶測なのだけど、あのときわざと見つかるように盗んだのではないかと思っている。まきちゃんにやるせない何かがあって、誰かの気を引くための浅い傷なんかじゃなく、全て壊してしまいたかったのではないだろうか。実は盗み自体ではなくその先の制裁に意味があったのではないか。
これは自意識の過剰になってしまうのだけれど不器用なりにグループや吹奏楽部から抜ける為にしたことだったのでは、と考えたこともある
それともわっとなってもらう快感がエスカレートしてしまったのだろうか。分からないし分からなくていい。


クラスから隔離されたわたしたちは、ただふわふわと卒業まで暇つぶしのように時を過ごした。私はそれがとても心地よく感じていたけどまきちゃんはどう感じていただろうか?

思うことはたくさんあるけれども訊けないしこれからも訊かないのであれこれ考えたことはここに置いておくことにする。

メ印


朝6時にバスツアーに出発する母と姉を見送りながらそうだ行けるじゃんとなって準備をした。
一見負けて従っていても隙間をつくことまで考えられなくはなりたくないなあといつも思って過ごしている

CDを買ってカフェに行ったらこの前新宿でお話をした人がいたので驚いた。同じ店の同じ席にいた。動揺したので買ったばかりのCDをお渡しした。私はいい歳をしてこれしかないので、すぐ布教をするので気を付けてくださいと思います。


しんさんおそらくMALICE MIZERのサインを見ていたのでお好きなのかなと思った
キャラクターに違和感が無かった。すぐ座っちゃう。
伝説なあの方はとても誇らしくて、豚様がなんかうへへって誤魔化してしまっているところを真剣な表情で真っ先に、誰よりも(お客さんより)早く拍手していたからすきだなあと思います

メ印のところ、どんなことを話そうと思われていたのでしょう
メメント〜はとても好きで、
「嫌なことから逃げることが人生のテーマ」
とてもうれしかった。普通を捨てられずにいる私がこう思うのはとてもずるいけど、そういう人がいるだけで大丈夫だなあと思って泣きたくなった

このあとみんな行くでしょ?に頷きたかったけど、また頷けるときに頷こうと思った

終わったあとには嬉しいなと思うことがあったり、交差点でお互いに来ているか定かでなかったお友達とばったり会ってしばらく笑ったりした。
レベルが低いのだけど人とちゃんと目が合うことは貴重だから、うれしいなあといつも思っている

お友達に行けなくなったから好きにしてねとチケットを頂いたのでシュッと参加した。おつらそうだったのだけど歌わない選択もありそうなところをちゃんと歌ってらしたのが印象的だった。
愚痴とかではなくて、ただ物理的にステージが見えなかったのでうつむいて揺れていた。きっと見えるような位置でしたのでゆっけさんに申し訳ない

今日は2回もおばあちゃんを一人にしてしまったので帰る。これは全然よくて、必要なら全然すぐに帰る。そうではないからいつもとてもかなしいと思う

おばあちゃんとだし巻きを食べるのがとてもたのしみ

私の中の少女だけが追いかけてく


神様の神様を聴いているような人だったので驚いた。
ちゃんと会話が出来た。会話だけだった。変わったシャツを着ていた。前と違うなあとか
ただトゥルー・ロマンスなんてものはどうせどこにもないのだろうとぼんやり考えていた

豚様の更新はうれしくて何回もよみかえしている。そうかなと思っていたこととへえと思ったことと
更新は多かったけどそんな記事が久しぶりなような気がしてすごくうれしいと思いました。感想とかをまた書きたい

アタシツマンナイ


14は明らかに現実だったので5次元になってやはりほっとします。

同時にうってなる感覚がある。置いてかれちゃう感じがする。明らかに私には無理がある。でもそれは最初からずっとそう。私も行きたいと思うから手を伸ばし続けている。
それまではじっと止まってなんかすごい速さで飛び交うものを見送るばかりだったのに、豚様にだけは手を伸ばしたくなった。
だから最初から無理がある。

馬場のフォトセッションを開いて何度か声に出してみると少しだけ落ち着く。
総統閣下はもういない。ずっといてくれるなんて思ってもいなかった。だからこれでいいんだって飲み込むしかない。受け取りたいと思ったものに救われる。
「信じれば救われるとはこういうことなんです」
(これは考えていたことと似ているなあとぼんやり思う。本を読んでも受け取りたいことだけ受け取りたいように受け取っていくような気がしていて。豚様の思考と一致するかは分からないのだけど)

小鳥の歌もきっとあの方の歌なんだと思った。
そういう曲のとき、その方に対して歌ってるのではないかなと思うときがある。そこに本当にいるのかは分からないけれど、いつも上のほうに向けて歌っている。
私はお経のときはいつも彼のこと考えている。藝祭の日からそうだった。最近は最後の部分でモリヤマさんのことも考えていた。私は事実婚かなと思っていたのだけど、でもやはりとてもうれしい。

しばらくはアルバムを聴き込む。

色々考えちゃうけど私には何も出来ない。無力。そもそも何か出来るかなんておこがましいのだけど
その一方で一人で行ったお台場でまた知らない人にいい顔をしてしまった。どう見ても話し掛けるのやめとこうな人間だから「ちょろい」とかそんなのでしかないのにな


金曜日がすごくすごく長かったから早く帰りたい

もうお家には帰りたくないや

マリオでたくさん声を出した。背中で弱まるのを感じたので強く強く出した。
普通に声を出せた気がした。大丈夫かもと思ったので最後にお名前を呼んでみたけどそれは上手く出せなかった。豚様には届かなかったと思いますがそんなものだと思います

にくフェスはいろいろなところに豚様がいるのであぶない。共演者をちゃんと見ておられるのでいいことだと思います。拾えるところを本当にたくさん拾っていた。その方たちもenskの時に見てくれていた。楽しんでくれているように見えたので、ありがとうございます
今までで1番地下に近く感じた。

こどもの日とにくに行きたかったから今は色々を諦めるしかないけど、今後まで諦めるつもりはなくてじわじわと行ける状態に持っていきたい。行ってみたいと思ったものに行けるくらいには
そうしたいって思ってるのに頑張れないとか言い出すからなあと思うけどどうせまた戻る。私などは単純なのでどちらに傾いてもどうせ戻る。どちらに行きたいかということに掛かっている。偏りたいから地下に行っているところがあって、馬鹿だなあと思う

見たい人に見てもらえたらいいなあ。さみしいとかこわいとかの気持ちが分からなくて一周周ったイーストの方が私はこわかった。
稔さんが帰ってこないと認めなければならなかったから
好きだからとかじゃなくて(好きだったけど)、あんなに震えていた人が戻らないことを認めたくなかった

私はなかのがすごくすごくたのしみ


人前に立つとどうしても手が震えるしこちらが閉じているからどうなっても気を遣わせてしまうし申し訳無さでいっぱいになる。私抜きで世界は閉じていると思うのです。被害妄想などではなくて「そうある」ものなので、どうにかなるものだとは思っていなくてもちろん誰のせいでもない。これはいつもうまく説明できなくて誰かを怒らせたり傷付けたりしてしまうと思う

お兄さんに連絡してしまおうかなあなんて考えてしまっている。誰でもいいから抱きしめてほしい。縮こまって歩いているのが少しでも和らぐなら何でもいい。
だけどもわたしのことなんか見てない人だから安心できるのであって、誰に対してもそれを望んでいるわけではない。棒読みだろうが言動がおかしかろうが、何だろうとその人は気にもしていない。それに安心してしまう

キョーミ無い人の方が安心する。キョーミない人でいいからそばにいてほしいと思ってしまう。わたしにはわたしが好きだと思う人たちと言葉を交わす資格なんてない

明日が終われば切り離されるから早まるなという戒め
一人で行くものが多いのでお友達のこともとてもとても好きなのだけど安心してしまっている

救ってくれる人

救われに行っているんだなあというのと空っぽだなという実感が改めてあった


どうにか日常を送っていても手は震えるし体の力は抜けないけど少しだけ和らぐ。(12辺りの)途中から入ったために固くなって動けないことがかなしかった。条件反射でUFOでは腕がちゃんとピンとするのでよく鍛えられたものだと思いました。

初めての人に聴いてほしいってセトリだとは思うのだけど平日に切り離して頂いたので大変ありがたい気持ちです。新曲嬉しかったのにほとんど覚えてない…(そろそろ新曲と言うのやめなくては)

嘘でも覚えてないって言い張ってほしいと思ってしまった。よくない。私がこんなことを言うのも野暮だけど、記憶力が良くてよく見ていらっしゃるのでしょうとは思ってしまっている。それが曖昧になるから嘘でもよかったのに。581cの挨拶の中にはちゃんとはじめましてがあった

毎週のように通っていたRexなのでまた隙間をついて来れてよかったと思いました。そういえばいつも火曜日だったなあと今思い出した

不安で目が覚めてしまったので投稿

「その可能性が0%では、ないということ」
低く刺す声がまだ耳に残っていてうれしい

過ぎる春なんとか忘れて

趣味がお洋服を買うことみたいになってしまっているのでチケットを取りました。定時マンになります。

あんまり色々具体的に考えると布団から出れなくなってしまうのでなんとなく書くことしかできないけれど無理がある毎日を送っている。ずっとアドリブを続けている感じ。台本なんてないので当たり前なのだけど…やりきれないのにしにきれなかった私は今後もどうにかして上手くやっていかなくちゃいけない
演劇をやっていた頃からアドリブは苦手だった。小林さんはおそらくアドリブらしく見える部分もアドリブではないと思うので見ていてうれしくなる。何もないところから丁寧に丁寧に考えて捻り出されたものたちがいいなあといつも思う。何もないを上手く使える人にはとても憧れます。カジャラを観に行きたい

金曜日に食べた某チェーン店のラーメンは細かったのはよかったのだけどぎゅっと詰まっていてあまり好きではなかった。キャンペーンで文字入りの海苔が乗っていてみんな写真を取っていたけど私は容量が無く写真が取れなかったのでにこにこと「撮ったてい」でいた(ごめんなさい)
スクショを減らさなくては。いいと思うこともああと思うこともすぐにスクショをしてしまう。流れていくのは、かなしい

何もかも騙して笑い飛ばしていたい

これはツイッターです(ツイッターではない)


たまにコンセプトから曲を書くのをやめてしまわれたらいいのにと思ってしまう。けれどもそのときのコンセプトに合わせてずっと同じことを歌っているからすきなのでつらい

ここにいて下さい、「閉じ込められてそこが今では悪の要塞だ」ってそれでいい、外の世界に戦争なんて仕掛けなくていい
分かる人には分かるから少しずつ増やしていけばいいのにそれを待てずに飛び出して行ってしまうから待ってとなってしまって強さがこわいのはきっとそういうことで

一人でも多くに分かってほしいと思うことは正しい感覚だと思う。だからもっとやってほしいと思う反面…
きっとこんなのはあの方の嫌いなやつだと思う。いつか置いてかれちゃうんだと思う。ついていけなくなったらそれは私のせいなのでそれまでは笑っていたい(最後まで笑いたいとはいつも思っている)

好きな豚様がいるように思うので小鳥の歌ばかりを聴いている。最近は負やアばかり聴いていたのでやっぱりほっとする
私が好きなのはそっちで私が行きたいのはそっちだ

私が好きになったときはそんな雰囲気じゃなかったよねと何度も思い返している。見ないふりをしていたけど週末中学でもすでにそうだった。机に愛♡みたいなことを貼っていた人もいた(人のことはいいのであまり言いたくなかったのだけど)

初めて見た日、地下がほぼ初めてで馬鹿な私はとりあえずにこにこして見ていたらいいのかなあなんて思っていて、刺すような声で「何笑ってんだよ」と仰ったときにビリビリと痺れた感覚を覚えている。戦いなんだと感じて地下の狂い咲いたような光景に私も行きたいと思った。なのにそういう感覚が今初めて見てもあると言えるのかどうかは分からない。私は今は豚様の飾るものを排除して残る小さな小さな点が好きなので、それにずっと救われているので、縁取る形はなんでもいいと思ってしまう。擬態しながらずっと同じことを歌っていて下さいと思っている。それは変わらない

擬態してピースフルを続けているのに、その中で刺すような何かがなければ「こういうの待ってたの!」と豚様が否定したがった応援の仕方をされても仕方ないのかなあと思う。私は見てないから何を言う資格はないのだけど

新曲は強くて私が待ってた豚様かもしれないけど馬鹿にするような、諦めるような、しかし他のところで諦めてないようなそういうところが好きなのかもしれないと思って少しだけつらい
現実に近いから戸惑ってしまって、でも私は現実で生きるしかないからどちらも仕方のないことだと思う。本当に私にとっていい時期に秘密結社のターン(新旧どちらも)があったなあということだけ

ステューピーのインタビューを読んで本当に誰も取りこぼして行きたくはないのだなあと思ってそれはとても嬉しいことだけどツイッターランドでムキになっていた豚様を思い出して大丈夫なのでしょうかなんて勝手に思って、そう言えばどこでもその場その場で思い描いたように…豚様も希望的観測が過ぎるのだなあなんて思ってやっぱり好きだなあと思った(日本語がおかしい)。
どうにもならないことはどうにもならなくて諦めてしんでいきたいと思っているから諦めない人がいることだけでなあんだって少しだけ動機が和らぐような気持ち

たとえば異聞で、そこまで言われたら本当に思い描いたことが実現するような気がした。そんなはずはなくても地下にいる間だけでもそれを本当にしてくれたらそれでいい。そうやって思っていたのに「本当に夢の中の話だと思ってるの?」ってそれがもう本当に救いだった

物語だけじゃなくて、そういうものを書いた方だってそれがずっとある。


自分本位について考える。誰かの自分本位が好きな場合もあればつらいと思う場合もある。そうしか出来ないような方のことは勝手に大好きです。
コメントを書くときはお伝えしたいことを入れることはもちろんコメント欄に相応しいか否かというのは何度も何度も確認をする。私などはほっとくとすぐ嫌なほうの自分本位になってしまうので自制をしなければいけない。それでもちょっとお伝えしたいことを書けてうれしかった
書いていて、やっぱり現実からほんの少し離れた(丁度ドラえもんが少しだけ浮いているようなイメージ)豚様が好きなのだなあと思った

シングルについて、以前ジャケットの前はもちろん後ろも写真にしたくないと仰っていて、だから拡散盤とかそういう意味だったらいいなと感じた。14才はちゃんとは聴けなかった。小鳥の曲はもっとちゃんと聴いてみたいと思う


ブログに題名をつけるのは難しいと思います。表示が変になるのであとから無理矢理つけるのですけど…つけてから公開しろよと思うのですが更新はなるべくリアルタイムでしたいなあと思ってしまうのです

なんだみんな幸せにしてたのね

「明日もボクはライブハウスで飛んでるから、明日でも、まあまた会ったときでも」というのにすごく救われるしお前は自分かわいそうをしていないで(行けないときは行けないし行けるときは行けるんだから)行けたときに楽しめよと思う。またすぐ流されているなー

ブロマガに書いてあることが本当ならとても嬉しい。私は物理的に「見ていない」から何とも言えないのだけど。変わりながら変わらずに、擬態しながらずっと同じことを歌っていて下さればそれで私は幸せ

新曲は今日も買えなかった

「アタリマエ」に死ぬがよい

次は、その次は、毎回思うのに毎日区切れもなく過ぎていく。「卒業したら」「成人したら」ずっと思っていたことだったけれどきっとどこまで行っても無理なのだろう。これは「どうにもならない」ことで、受け取り方を捻じ曲げてどうにかしていないといけない。でないと今すぐに大きな声を出して転がり回ってしまう(しない)

気付くのが遅い。だから、どうせ「それだけでは駄目」なのだから、とりあえずなんとかしておくべきだったのだ。それが出来ないならせめて行けるときには楽しんでいたらよかったのに。何もかも中途半端で駄目。シェルターのような地下でも漠然とした不安と投げられた言葉がぐるぐると頭を回り、振り切ってすがるように豚様の宗教に参加した。

これが終わったら、あれが終わったら、と思いを馳せるのに本当は終わりなんて来ないことはずっと分かっている。自分が終わらせなければ終わりなんて来ない。他に解法がない。だから高校を卒業したらしぬつもりだったし、豚様に出会ってからは行けるときにはなるべく行こうとした。その熱が今自分にないことに驚いているしかなしい。かつてのように隙間をついては抜け出していく自信がもうない。疲れた。
これは私のせいなので、あの人にもその人にも、好きな人たちに見離されてアタリマエに死ねばいいと思う。だけど嫌だから最後まで笑っていたい、のに

(それでも母が見抜いたと思っている何十倍もの回数彼らを見に行けたことは誇りに思う(誇れることではけしてない))

きっと私が思っているより世界はかなしくないし私が思っているより私は誰かを傷つけている。首輪を繋ぐように意識を引き戻していないと変な行動を起こす。昨日だって逆向きのエスカレーターに完全に乗るまで気付かなかった。そんなことがたくさんあってこの先が不安で仕方ない。
私などは馬鹿だから常に目を凝らしていなければ簡単に流されていく。抗った数年間はこのまま何年も経った後の私にもただの暇潰しとされてしまうのだろうか

以前ゴリラの最後で思わずわっと両手を上げてしまったことがある。すごく良いゴリラでとても嬉しかったのだと思う。しかしゴリラはいつもしっとりと終わるはずなのですぐに顔がかあっとなって背中が冷たくなったことを憶えている。あのとき泣かなかったのは確かに豚様のお陰だったのに


夢見る力は強いもので、今でも私にとっての豚様は救世主であったりする。更新があった日の、同じような時間に車で三ツ沢公園を通りかかっていたことが嬉しかった。ただ再録を何度聴いてもこわいので、明日やっと新曲を買いに行く(つもり)
最近なんとか人として紛れるための服をたくさん購入した。襟を正すような気持ちは持てない。

そのままでいいって言ってやる


肉フェスのステージがいつも好き。「お肉を食べに来た人」に向けて行うライブで「肉を食べるのは一旦やめてこっち見ろ」と言うのは、お肉を食べに来てたる人には全然響かないと思う。興味が終了になってしまう。だから「肉を食べに来た一般人」にあえて威圧感を与える必要はなくて豚様はそんなことはしない。少し前までしていたように思うけど、しなくなった。

それでも本気で戦っているしピースフルでも的確に急所を突いて刺してる感じがしてとてもうれしい。そういう分かる人には分かっちゃうとかそういうところが私は好きなのだけど


秘密結社のひっくり返すことが主なテーマのターンが終わってしばらく経つけどどうしたらいいのか分からない
何に対しても一度はこれから良さが分かるかもしれないとは思うようにしていて、それでもきっとこの先も思えないかもと思うものはあって、それにはそれだけの理由があって、だからもやもやとしている。
奇をてらうことはうれしくなるし良いのだけどそれがなんのためにとか分からないとつらい。意味のないものを楽しむことが上手く出来ない。あったとしてちゃんと見つけていけるだろうか

奇抜なものをただ寄せ集めたものはやはり苦手で、お人形のドレスのようなお洋服にはなるべく柄物のタイツではなくシンプルな靴下を履きたいし、ヴィヴィアンの良さが分からないので持たない(素敵だとは思うので良さが分かったら持ちたいとは思う)

同じように?ヴィレヴァンを否定するのもなんでだろうと思ってしまう。たしかに苦労して購入したものがヴィレヴァンにあると、好きなカフェがチェーン店だと分かったときと似たような感覚になる。だけれどチェーン店でもベローチェは好きだし、ヴィレヴァンブルーブルーエに並べられているものでも欲しいものは欲しい。
アクシーズのお洋服はもうあんまり着ないけど中学生のころには本当に大切なお洋服だったし…そういうのを今否定してしまうことは出来ないなあと

そういう何に対しても軸を持つということではなかったのかなあ「チェーン店だから嫌い」だとしたら「チェーン店だから好き」というのとあまり変わらなくなってしまう気がしてしまう。「賢いボクだけが」というのと「お前らとは違うんだよ」というのが同じ「14才」になってしまうことが少しかなしい。それでも同じ方が書かれたものだし受け入れなくてはいけない

面倒臭い奴の減らず口だと豚様にまで弾き飛ばされてしまったら私はどうしたらいいだろう。そうならないように私も行きたいって頑張ろうとするけどバランスを崩してガタガタとここまで来てしまった。ついていけなくなったならそれは私のせいだけど14や5次元がこわい
そこだけで豚様が好きだし今も救いで、これからもそういれたらいいと思います


ギリギリまで希望的観測でものを見るようなところがあって、治さなくちゃいけない。物語ならそれでいいけど私は物語の中にいる訳じゃない(かなしいけど)
茶番にあったように、私は馬鹿だから宇宙船に詰め込まれて改造されて刷り込みのように救われているのかなあと思うとやり切れない
しんじゃいたいからそれでもいいかなとも思うんだけど




もういいやと諦めて全部やめて海外に行って、帰ってきたら1日で働くところが決まったので驚いています。他の面接でいつも「なんで」と思っていた箇所がなかったところで働けるのでよかった

また始める人は多いと思うのだけど1年間ずっと続けていたの本当に笑うしかない。
平日は毎日毎日最悪の格好で最悪の気分でふらふらと街を歩いた。しぬのを待つ目をしていたと思う。1年間落ち続けた。希望する条件ではないところからはいくつか声を掛けて頂いてもうやめてしまおうかとも思ったけど、もう少しもう少しとここまで来てしまった。なんでやめようと思わなかったのか

だから、本当に欠陥品なんだなって思って、そんな私を働かせてくれるので、ありがとうございますという気持ち。出来るだけいい仕事ができればと思います(いい仕事とは)
あとは手段として割り切って金曜日に切り離す生活は出来そうなのでそちらもよかった。


早くすきな方たちを観に行きたい