ルーズリーフ

ひとりごとを書いています

惡道に死す 感想(全体)

どこに上げるでもなくお手紙にする為でもなく書いていたのだけどせっかく書いたので。初めはPCで打っていたのだけど印刷して手書きで加えていったものを今度は携帯で手打ちしています(要領がわるい)

最近はとても駄目だったので籠ってひたすらに聴いて書きなぐっていた。好きなアルバムになりそうです。

 

まずは全体から。

アリスやモンスターズなど最近のコンセプトは「軸がしっかりあれば外側はどんな形に変えても大丈夫」なのかなということを私は感じ取っていたのだけれど今回はそれと反対とまで言っていいのかな、霞が全面に押し出されたような

あの子やその子に私は今回のアルバムを聴いて帰ってきてほしいと思うのだけど余計なお世話かなあと思いつつも、やはりこっそり思ってしまうのでした。ごめんね

帰ってきてくれたら私は嬉しい。ただね私は提示されたものを受け入れて肯定することでしか生きていけないのです空っぽなので…ツイッター遡るとそれについて考えていたりもするんだけど、違うなって思ったことが殆ど無いの。(他の人にはそれなりにあるのだけど。それは私にとって彼が神様で絶対だからだと思う(ヤバい)、因みに他の人については私の信仰する宗教ではないのでよっぽどのことでなければあれこれ言う資格なんてないので黙っています)だからこんなフィルター厚い私が言っても説得力ないと思うからねここに留めておくね。

 

全体的に強いなというのを思った。「たださみしいおじさんに戻る」から始まる怪人ラボの夜にさえ強さがあった。帰ってきてくれたから大丈夫だなあと思った。あの日の「ボクラは大丈夫です」の言葉がじわじわしてくる。

曲別の感想は新曲のみ書こうと思っていてゴリラは書かないからここに書くけどこの曲はあの方の歌だと思っていて、「置き去りにしてポッキリと折ってしまった」というあの方に「死んでしまっても蘇らせる」って、ねえ。泣いてしまうよ。マクマーフィーも彼を連想していいのかな、してしまっている。

「一人一人走って行こう」やり直しの根本はきっとここまで行かなくてはいけなかったんだ。でも私は今でも間違いではないと思っている。仲間だから手を離すよってすごく好きだよ。だからイーストの君の左手僕の右手などは言いたいことは理解できていたとは思うのだけどでもとてもとてもさみしかった。(前とか後とかの話は私は馬鹿なのでよく分からない…嫌だ…馬鹿は嫌だ…)

たぶん私はカミュカフカの世界観が好きで、それが色濃かった最初の7日間戦争にいつも戻りたがっている。まっさらな状態で目にしていたから今でも最上に思える説も否定できないけれども。だから、好きだったから変えてしまわれることはさみしい。

だけどハルマゲドンの最後辺りに「なんなら今のボクは誰かを引摺り回してどこまでも行けそうだ」とかそんなことを仰っていて、ハルマゲドンや転生で手にしたかった物はそれだったのかなって、だからそれはとても嬉しかった。その強さがほしかったのですね。

「ボクは死を乗り越えてみせた奇跡の人 出来ぬことはない」うっうっそこまで追い込んで大丈夫なのですかとか思ってしまうようええ気持ち悪いごめんなさい だけども相当の覚悟の詰まった歌詞だと私は思っている。あ駄洒落みたい

 

これはおまけだけど、ここまで考えてみて彼が帰ってくることはきっとないのだとやっと思えた。遅いね。ずっと帰ってきてほしかったの、だめだけど。あんなになるまで傷付いた彼はここに帰ってこないでどうやって生きていくのだと今の今まで本気で思っていた。最後のえんそくの語りが改変された時点で分かってたはずなのにねえ 私の知らないところで親友のようにいて下さったならいいなあ。これも余計なお世話なのだけど。でもそれが大丈夫かもしれないと思う箇所をハルマゲドンの中の小さなところで見つけたのできっと大丈夫だと勝手に思っている。

 

そうして手に入れた強さを持って、ずんずん進んで、歌詞カードがだんだん柵に近づいてきていて(連続写真の心霊現象みたいで気付いた時怖かった)目の前まで来たから今壊してるなんだなあと思った。

12まで行って戻るととてもよくて、ずっとぐるぐるしていられるなあと。めっちゃ壊しに来てくれてる。