ルーズリーフ

ひとりごとを書いています

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ライブや音源の感想を書けよと自分でも思う。すきなものの話をしていたい。


だけどどうにもぐるぐるしてしまって良くないのでここにまとめておこうと思います。きたないものなのでこれは特に読まなくていいものです


私は空っぽで、ぼんやりと生きている。楽しくお話をしていても次の瞬間には頭が真っ白になって黙り込んでしまうとか、つまらなさそうな表情をしていると思われることもきっとよくある。

昔から集団に馴染めない。嫌いとか憎いとかそういった感情がある訳ではないのになぜだろう。一部の人達にそんなに何も考えないのは何故?と思うことは少しある。「喋りかければ喋る喋らない子」としてただ教室の隅にいた。
本当にたまに、科学館に行く課題を一緒にやろうと言われて出かけたりロッカーの前などでお話したり、みんな私がしなないように気を遣ってくれていたのかもしれないなあなんて思うのは自意識過剰かもしれない。

幼いころの無邪気に声が気持ち悪いとよく言われたことが原因だろうか、いつも声がうまく出せない。ちょうどいい高さや大きさが分からずいつも喉や胸のところがくるしい。無理やり喋ると変な感じになる。表情も固く泣きそうな顔をしている。何か言葉を返さなければと言いたくないことをつい言ってしまう。

最近思い当たる症状があり場面緘黙について調べて、私はこれかもしれないし違うかもしれないなあと思った。調べてどうにかなるものでもないし病院に行くこともしんどい。

そういえばはじめましての方とは喋れたりする。これが自分でも本当に気持ち悪くて大嫌い。何度も会っている人を大切にしたいのにまっさらなことほど安心することはなくて本当にだめで、あの方にもはじめましてが好きですとか訳のわからない手紙を出してしまった。

(一度だけインストの撮影で「はじめましてー!」と大声で言われたことがある。お友達があの気にしていろいろ慰めてくれたけど私はむしろぽかぽかしていた。きっと私の思い上がりだろうと思うけれども。これはご本人にしか分からないことだし訊こうとも思わない。変なお手紙を出すのはやめよう。)

そんなことがたくさんあって、ぼんやりと絶望していてしにたかった。一生治らないと思ったし社会に出て生きていくことは無理だろうと思った。
一日でも休めばきっと行けなくなるから毎日毎日学校に行った。毎日しにたくて、期限があればがんばれると高校を皆勤して卒業したらしのうと思っていた。

高校2年のとき、ある大人しい女の子が某エアーバンドについてしっているかと声を掛けてくれた。彼らがブレイクを果たす少し前のことであった。何年か前からしってるよと返すと嬉しそうにしてくれた。

次の年の夏、その子が私と同じ話題に反応したツイートを見かけた。しばらく迷った末、「よかったらそれ一緒に行かない?」とめずらしくリプライを送った。それが七日間戦争だった。

1月、全てがひっくり返ってしまった。私だけが間違っていて自分だけしんでしまいたいと思っていたのに、地下のステージの上でヘンテコな格好をした「大人」が世界が間違っていると高らかに歌い、赤いマントを翻しのそのそと歩き回っていた。

「今地上で何かが起こっててライブが終わって外に出たらみんななくなってたらいいよね!ライブに来てた人だけが生き残るの。なんかさあ教室に不審者が入ってきて自分だけ生き残る妄想とかしなかった?あ、しなかった?」
くるくると表情を変え落語家のように喋りまくる。するとステージ袖からピーッと笛を吹かれる。喋りすぎているから曲に行けとの強制終了の合図なのだという。また吹かれちゃったよなんて笑って下を向き、カウントが入り顔を上げるともう戦闘モードなのである。

「後ろの人達ニコニコ笑ってくれてありがとう!嬉しいよ!だけどそれだけじゃそろそろ置いてっちゃうよ!!」
そのあと「何笑ってんだよ!!!」とも怒鳴り散らかしていた。これでも彼の(始まったばかりの)今年の抱負は「ピースフル」なのだという。なんだかめちゃくちゃだった。付いて行きたいと思った。ステージも見ずに首を振るという行為がそれまでどうしても理解できなかったのだけど、この日初めてヘドバンをした。

私が彼を好きなのは、劣等感による悪循環から思考を切り離してくれるからなのだと思う。
まさに山手線から中央線に乗り換えるが如く抜け道があることを、私は初めて知った。


彼は今も変わっていない。街に溢れる商戦を「意味のあるもの」へと変えてしまった。軸をしっかり持っていればどんな形に当てはめても大丈夫なのだということを感じた。
彼のモノサシがあれば、私が不安に思うことも大丈夫なのではないかなと思った。自分の軸を持てるのがきっと一番いいと思うけれど

そんな方がもうすぐあの丘に立つ。
「花が咲く約束の丘で待ち続けたあの頃のボクラはボクラに会う」、稔さんは何があっても見届けて下さいねと勝手に思っている。あの悔しそうな表情や小刻みに震える様子が目に焼き付いて離れない。彼は今笑えているのだろうか。もしその日ステージに乱入したってきっと誰も止めないと思う(してほしいとかそういう訳ではなく)
ゴリラの丘やマクマーフィーや色々な曲を私はよく考えて聴かなくてはいけない。


「皮」を被ってやり過ごしているのに、きっとそのための転生だったのに、表面だけを見て本気にされたらかなしい。分かる人だけ分かればいい。分かり合えなくなってしまったらかなしいけれどさようならだと思います。アタリマエを悪とすることを悪としたなら一緒にいるのはきっときついことだと思います。いつまでも一人同士で踊っていたかったな。だけどどこにいたって、笑えていたならそれでいいと思うのです。

世界で何を選ぶかはその人の自由で、選択肢はたくさんあって、私は一番正しいと思うから選んでここにいます。それが人によって違うことも当たり前だと思っています。選んだところで笑っていたらいいだけのことだと思います。
好きになれないものもあります。いいなと思うメンバーさんがいるのにある一人の人がステージ上から最前の人に汚いことを囁くのを聞いたこともあります(割と近い)黙っているのはすきなものの話をしていたいからです。

多くを感じられる方に出会えることは貴重なことだと思うから、どうかずっとその繊細さを大切にしていてほしいと思います