ルーズリーフ

ひとりごとを書いています

私が好きになったときはそんな雰囲気じゃなかったよねと何度も思い返している。見ないふりをしていたけど週末中学でもすでにそうだった。机に愛♡みたいなことを貼っていた人もいた(人のことはいいのであまり言いたくなかったのだけど)

初めて見た日、地下がほぼ初めてで馬鹿な私はとりあえずにこにこして見ていたらいいのかなあなんて思っていて、刺すような声で「何笑ってんだよ」と仰ったときにビリビリと痺れた感覚を覚えている。戦いなんだと感じて地下の狂い咲いたような光景に私も行きたいと思った。なのにそういう感覚が今初めて見てもあると言えるのかどうかは分からない。私は今は豚様の飾るものを排除して残る小さな小さな点が好きなので、それにずっと救われているので、縁取る形はなんでもいいと思ってしまう。擬態しながらずっと同じことを歌っていて下さいと思っている。それは変わらない

擬態してピースフルを続けているのに、その中で刺すような何かがなければ「こういうの待ってたの!」と豚様が否定したがった応援の仕方をされても仕方ないのかなあと思う。私は見てないから何を言う資格はないのだけど

新曲は強くて私が待ってた豚様かもしれないけど馬鹿にするような、諦めるような、しかし他のところで諦めてないようなそういうところが好きなのかもしれないと思って少しだけつらい
現実に近いから戸惑ってしまって、でも私は現実で生きるしかないからどちらも仕方のないことだと思う。本当に私にとっていい時期に秘密結社のターン(新旧どちらも)があったなあということだけ

ステューピーのインタビューを読んで本当に誰も取りこぼして行きたくはないのだなあと思ってそれはとても嬉しいことだけどツイッターランドでムキになっていた豚様を思い出して大丈夫なのでしょうかなんて勝手に思って、そう言えばどこでもその場その場で思い描いたように…豚様も希望的観測が過ぎるのだなあなんて思ってやっぱり好きだなあと思った(日本語がおかしい)。
どうにもならないことはどうにもならなくて諦めてしんでいきたいと思っているから諦めない人がいることだけでなあんだって少しだけ動機が和らぐような気持ち

たとえば異聞で、そこまで言われたら本当に思い描いたことが実現するような気がした。そんなはずはなくても地下にいる間だけでもそれを本当にしてくれたらそれでいい。そうやって思っていたのに「本当に夢の中の話だと思ってるの?」ってそれがもう本当に救いだった

物語だけじゃなくて、そういうものを書いた方だってそれがずっとある。


自分本位について考える。誰かの自分本位が好きな場合もあればつらいと思う場合もある。そうしか出来ないような方のことは勝手に大好きです。
コメントを書くときはお伝えしたいことを入れることはもちろんコメント欄に相応しいか否かというのは何度も何度も確認をする。私などはほっとくとすぐ嫌なほうの自分本位になってしまうので自制をしなければいけない。それでもちょっとお伝えしたいことを書けてうれしかった
書いていて、やっぱり現実からほんの少し離れた(丁度ドラえもんが少しだけ浮いているようなイメージ)豚様が好きなのだなあと思った

シングルについて、以前ジャケットの前はもちろん後ろも写真にしたくないと仰っていて、だから拡散盤とかそういう意味だったらいいなと感じた。14才はちゃんとは聴けなかった。小鳥の曲はもっとちゃんと聴いてみたいと思う


ブログに題名をつけるのは難しいと思います。表示が変になるのであとから無理矢理つけるのですけど…つけてから公開しろよと思うのですが更新はなるべくリアルタイムでしたいなあと思ってしまうのです