ルーズリーフ

ひとりごとを書いています

「全然ダメじゃん」
ふいに低く呟かれると本当に申し訳なくなる

素直な人なんだと思う。数分後には会話をするし、初めてのことばかりで出来なくて当然だから大丈夫だよと言うことも言ってくれる。

そういう言葉をそのまま受け取っていてはいけないんだって自分に強く念を押す。そうなると手が震えて声が出なくなる。泣きたくはならない。つらい訳ではなく、焦って焦ってどうしようもなくなる。

「落ち着いて。大丈夫!」
これも私が焦って更にミスをしないための言葉であって(嫌味などではなく、本当にそうなのだと思う)
落ち着くことも出来ないし大丈夫にならない。

出来なくてごめんなさいというのと
次はちゃんとしなきゃというのと
私は何かを成し遂げられるなんてことは思っていない。
たぶん人並みにもなれない
他人に掛ける迷惑を最小限に留めなくてはと思う

夢や希望を持てるってすごいことだなあと思う
そういう人が社会を作っていくかもしれないし、経済を動かしていくかもしれない?し、(よく分からないことテキトーに言ってしまった)
それはそれでいいと思う。私には出来なかったなあという

全てにおいて悪い可能性しか考えられなくて
私はすごく不器用だから全部上手く行かないんじゃって
例えばなんか次の瞬間怪我とか下手したらしんじゃうかも、とか

赤信号なんて滅多に渡れない
渡れる人は渡って良いと思う。上手くやれるのなら
カクカクと上手く走れないから馬鹿みたいにじっと待つ
毎日信号が近くにないバス停で降りて、商店の方から畑の方になかなか渡れない
しんじゃってもいいけど、たまたまでもうれしかった曲を聴くまでいきてたいな
そんなふうにして惰性で、というか何かと理由をつけていうまでも過ごしちゃう

豚様は希望的観測が強くて、私には無理があるけど考えなくていいときはいいよねと思って、ずっと聞いてたい

いつかの豚様の例え話の「転んだときにお金が落ちてる」なんてそんなことは現実にはそうないのですよ
それでもそうだったらいいものなのかもしれないなあってぼんやり思ってる。ペテンでもいいよ

もうすぐまたバス停に着く。このバスはもう8年くらい使っている
お家に帰りたくない、本当に帰りたくない

外の方がいいというのは「他人だから」なのかもしれないけど、家の中であっても「他人は他人」なのになあ