ルーズリーフ

ひとりごとを書いています

頭が悪い

色々言ってみたってやはり豚様が私の神様なのでつらい。気持ち悪いですよねと思います。

豚様しか見れていないときがあります。豚様自身を好きでいれているのかどうかももはや定かではないです。想像で作り上げた豚様を信仰しているのでは(やばめ)
期待が過度。非常によくないと思う。とはいえ私にはこれしかないので、ちゃんと見れる方が評価してくれればそれでいいなあと思います


かなしい文を読みました。私はそのときの楽しいを求めて行きたい、それが馬鹿だなあとか下に思われるならそれでいいし笑っておいて下さればと思います
私は正しいモブでいたいのです。自意識の強さというものは奇をてらうためだけにあるようには思えない。家畜にはなりたくないけれども。踊らされる前に自分の意志で踊っていたい。それも踊らされてるように見えるのでしょうから私はなにも言えない

因みにこれはエアリプではないです(今関わりがある方たちのことは一方的に好きでいるので)
ちゃんとした評価はちゃんと見たいと思っているのでバンザイしている人だけが好き、ということは決してないです。




どんな手紙を書いたとか忘れてしまうな。写メしたりワープロに残したりするべきだろうか。はずかしくてしぬやつ。きっとずっと同じようなことを書いてるんだろうなあ私は
ロコを聴いたときにふふふってなって私が書いているものって「あの人」からすれば遠い異国の話なんだよね、別に日常のことを書いているわけでもないけど
13の活動について、感想をお伝えするなら早いうちに書かなくてはなあと思いながらも。次が子どもの日かもしれないからさすがにそれは、、


私はずうっと頭が悪い。
そのままでいいよというのを見るのはとても安心するけどそれでいいとは思えない。
豚様はそれぞれに現実があって「どうにかまともに」やらなきゃいけないことをしっているし、「仲間だから手を離すよ」というのは(おそらく)変えられたけど離しても自分の意志で戻ってくるように改造してから離すよということだと思うし、考えなくてもいいときは考えなくてもいいとかそういうことかなあと思う。
そちらの方が私は嬉しい

どうせ私などは「歌ってほしいことを歌ってくれるから」豚様が好きなのだと思う。
いつまで経っても自分本位的にしか音楽が聴けない。

月光病




過呼吸気味に泣いて喚く母に掛ける言葉がなかった。原因が全部外にあると考えていることがすごい
どうにかしたいなあとは思うけど何を言っても無駄なのだろうなあと思った。なんかたくさん叩かれた。今日はそのような発作が二度ほどあった
二度目は姉に矛先が向いていた

横暴な父、哀れな母というのにパーソナルが当てはまりすぎるのだけど当てはまっていなかったらどのように聴いていたの

生きていればこんな日もある


いいものはいいので、お化粧じゃないところでもピンと来るものはあったりして。

たまたまどこかで流れていた「傘」という曲が好きだったのだけど昨日はやるべきことの合間にそのバンドの曲を流していた

”君から僕が見えなくてもいい”だとか”夢の中でしか夢なんて見られない”だとか、あっ となるものばかりだし、(これは本当にとてもよくないことだけど)豚様の仰ることと重なって見えたりもする。ぱやぱやとか左手右手とかね

いろいろと聴いていると歌詞の中に流れてきた高校時代の最終目標が私の高校の頃の夢と同じだった

バンド名を一度変えられていて、今のバンド名はこの曲名なのだと知ってなんとも言えない気持ちになっています。少しずつ聴いていけたらいいなあ
(私の感情をさておいても歌詞に一貫性があってとてもいいバンドさんだと思います)


それから好きな方が書かれた短編の小説を読んだ。とてもやさしいお話でした
軽率に感想を送り付けてしまって自己嫌悪に陥っていたのだけど「小説の中で自分の伝えたいことがほとんど伝わらないだろうと思っていた箇所があったけどいい読者に恵まれて幸いです」と仰って下さって見当違いではなかったみたいでよかったなあと。
私にとってこんなお話が読めた日がいい日だったりするので何度も読み返したいお話です


さっき起きて読んだ更新に案の定うっとなるし私はどこにいよう。13から中々抜け出せないのに14をすっ飛ばして5次元を考えることなんてまだ出来ない
細かい所ばかり気になるから私は動けなくなる。置いてかれちゃうからいい日のために今は進もうと思う

異端児たちを体感せよ


今日は無料なので罪悪感が少ないと思ったけどよく考えれば無料の方が罪はあるよなあと思った、けど折角そういった形で開催しているので利用させて頂いた。クズでごめんなさい

着くと転換中だったのでドリンク交換で氷結の白ぶどうと、アイスクレープを買って2階に上がった。初めてアルコールを飲んだのがここでの氷結グレープなのでアルコールを飲めるときは氷結にしてしまう(前は白じゃないぶどうだったと思うんだ)
千と千尋の神隠しの音楽?がずっとリピートで流れていて私は単純なのでしんみりしながらまくまくとアイスクレープを食べた。何も食べずに来たのでおいしかった。山梨に行くと食べる信玄餅クレープとの違いがあまり分からなかった

2階からラミエルさんを観た。上から見るってなかなかないのでおもしろかった。ボーカルの方が気を遣って小道具のイスを微調整してるのを見たり、トレンカが懐かしいなあと思ったり。上ギの方がテッシュを食べたり?ポスターの筒を客席に打つポーズだけして袖に投げていたのは何だったんだろう…?世界観が分からなかった。転換〜幕が開いた瞬間の期待感はあったのだけど
でも中二病の衣装が公開されたときにラミエルさんみたいという感想を持ったので、観ることができてよかった。
煽りが合っていないように感じた。ホールワンマンかなと思ってしまった
2階から見るバンギャルさんたちはかわいらしくて、折り畳みに微笑んでしまった。柵に飛び掛かって折り畳むやつ、見た目すごくかっこいいのでやりたいと思うけれども出来ないな。私は跳び箱も出来なければ鉄棒も出来ない。唯一の布団がフェイズでよかった(低い)


全体を見るにはとてもいい位置だったのだけど負さんは見上げて楽しみたいので下に降りた。負さんやEさんや、この先大きい会場ではどうするんだ?と思うのだけど惹れているものにたいしては下からみたいと思う。プラさんを上から見たことがあって演出が素敵なのでそれもよかったけど見上げるように手を伸ばす方が私は幸福的だった


音出しでネタバレかのように短命ですことか盛者とかの前奏が何度も流れたけどやはりセトリにはなかった笑
特に短命ですこは何度も流れたので少し踊った

僕の神様が今日も嬉しかった。たまたま手が当たり刺した後のペンが高速でくるくるくると落ちていったので綺麗だった
ゆけさんを直視出来ずに、でも終始ゆけさんを気にして見ていた。ゆけさんのステージングとても好きなのです…

新曲。なんで死んじゃいけないの?なんで生きなきゃいけないの?選択肢として肯定してくれるのはとてもうれしいなあと感じた。とても幸福だったので不幸なんですと聴くのはもういいなと思って、時間もあれだったので不幸自慢の横モッシュに紛れて帰った


すぐ後に私の神様がステージに立つというのに帰らなければ行けないことがつらかった。これは私のせいだから何を言えるわけでもないのだけど
ステージはブレイズ(オープニングのみ)以来観れていない。宿泊で改造人間を聴いてポロポロ泣いたあの感覚があるからまだすきだと言えている

かっこいい女の子が負さんを見に来ていて、enskまで残ってくれて、楽しんで会場限定CDまで購入してくれたようなのでうれしくなった(お隣の駅ではもともと好きな方の対バン出演があったのにこちらを選んでくれたんだなあと思う)
音源をいくつか渡して会場限定盤もいつかプレゼントしようと思っていたところだったのだけど買いたいと思ってくれたんだなあとじんわりした。あかんぼはその子に聴いてほしかったのでよかった


救世主について、カミュカフカに戻ることがどうして出来なかったのかななんてことを考えていて「中二病」なのに「14才」とは違うように感じる。
豚様の中では同じなのかもしれないけれども「お前らとは違うんだよ」というより「賢いボクだけが」というのが私は聴きたかった気がする

教室にナイフを持った不審者が現れたらまっすぐ私だけ刺してくれたらいいのにと思うので自分以外がいなくなる妄想をする豚様とはやはり違うのだなあと思うけどそういう人にしか救われないのだろうとは思う(めんどくさい)

年末の独り言放送(ネットラジオ)で「自分は例えば映画の中で真っ先にしんでいくモブの一人」ということをぅゆにさんが仰っていて、ああすきだなあと思ったのでした

自意識について

後輩に当たる女の子がとてもかっこいいなと思う。

横一直線に切り揃えた前髪とストレートの髪、爪を赤と白を交互に塗った手を手首から少し浮かせて小指はピンと張ってしゃなりしゃなりと歩き、お洋服や持ち物もそれどこに売ってるの?と訊きたくなるようなセンスの良いものばかり(訊かない)。

去年の春、どうせ誰も読まないだろうからと好きなように書いた私の文章(酷い出来のもの)を読んで「白塗りピコピコの界隈分かりますか…? ただでさえヴィジュアル系好きな人って少ないのに、聴いてるところが近いのかなって思って」と話し掛けてくれたのが最初だった

エレホもよく来ていて、私とは少しジャンルの違うところで全国を飛び回っているという
その子が好きなアーティストの主催にenskの出演が決まったときは嬉しかったり、負さんのことでお互いもやもやとしていたり、宿泊行事の際に行事そっちのけで夜中までお話をした

当日enskの出番の後に「今日のセトリこのまえ頂いたCDに全部入ってたから嬉しかったー!」と伝えてくれてそれが判るくらい聴いてくれたことが嬉しかった。私はステージを見てからではないとなかなか聴き込めないので素敵だなーと思う

日常ではやはり群れずに凛といて、私を見つけると「あっ」と真っ直ぐに歩いて来てくれるので上手く目を合わせられなくていつも申し訳ないなあと思っている
同じように、というのはおこがましいかもしれないけれど似たものを少しでも感じているその子が凛といることにすごく憧れる

先日打ち上げというものに行かなければならなかった日に、やっぱり一人でしゃなりしゃなりと歩いて打ち上げ会場へと移動しているのを見て何か声を掛けたかったけど出来なかったので私はクズ。ひとまず日常での関わりは薄れてしまうので、またライブでねとお話をして帰った

自分のぱっつん前髪をやめたり横の髪の毛(姫毛という単語はあまり使いたくない)をなくしたりして毎日つらいなあとのろのろと歩いていることが本当にかっこ悪いと思う。
こういたいというのと、そうならなくちゃというのと、どっちにも出来なくて中途半端って一番つまらないしよくないよと思った

いつも嬉しい。そういう風に言ってくれるのは。

父がロリィタを褒めてくれる。デザインも色も気に入っているものなので嬉しい。素敵だなと思って着ているので素敵だねと言われることが嬉しい。きちんと着れているかと言われたらそうではないし、とても似合うような容姿ではないけれども大切に着ていきたいです
ルールは本来ないのでそれぞれすきなように着て良いのじゃないかなあと思うけど、着る側としては自分の理想を持ってきちんと着たいなと思う。パニエとかお靴とか、ちゃんとしたものを揃えたい


会話について、とっさにこうすれば人間らしいかなと思って話してしまったりするので(非常によくない)、こういうことなんですねと確認されたりそれは違うのでは?と言われたりする度にそれそんなに重要に思ってないんですと思いながらいることがある。ごめんなさい。

考えていることと口に出すことがなかなか一致しない。アドリブをずっと続けているような感じで(あながち違わないのだけど)、何がある訳でもないのに焦って焦って伝えたいことが伝えられなくて、どうしたらいいんだろう

お話することはすきだし楽しいものだけど声を出すことや伝えることがコンプレックスでどうしようもない
伝えたことでさえ間違って伝わることがあるのに発信の段階で既に問題があって全部私のせいだと分かっているから早くなんとかしなくてはいけない
止まってしまったら駄目になるからとりあえず進むけどこれは止まっていることと何が違うのか

「人の本質はそう変わるものではない」「私が救う」「だからぼんやり待ちなさい」

それはすごく優しくてすごくうれしくてすごく救いなのだけど、どうしても私の頭の中がうるさくて「そのままじゃだめだったじゃない。」という結末しか考えることが出来ない


豚様はゴードンのような歌詞も歌うけど全部そのままでいいとは言わない。「うじうじしてる奴は上手くやる術を身につけてくださいね」というようなこともたまに仰る。それぞれに現実があって、それなり上手くやらなくちゃいけないことをしっているからだと思っている。考えなくてもいいときにそれから切り離すことが豚様の言う【救い】なのじゃないかなと思うのです

その辺りが2枚のアルバムの違いなのかなあともやもや考えている。その間のアリスやモンスターも現実を意識させるような歌詞があって、明らかに理想と現実を交差させていて。(ミニアルバムで宇宙で粒子まで分解されるあれ(転生中)、10で転生(再誕)、11で現実と交差、12で現実からの願い、13でお望み通り…)それを体感出来たのがあの停電だったのではないかなあ。DVDも観たりしているので思考がぐるぐるとする。

「仲間だから手を離すよ じゃなきゃたどり着けないとこでまた会いましょう」「また春に会いましょう!!!」「笑えそうかな? 次会う時にはねえ」

どうにもならないように思っても、近くても遠くてもそのときまでなんとかしていようと思う。止まらずにそうしていれば、変われなくても隠してそれなりやる術は見つかるかもしれない


朝が来たので少し眠ります

戦いに行くような、しにに行くような、救われに行くような、ぐちゃぐちゃとした気持ち。

もちろん全ての終わりではないのだけどひとつの物語の集大成ということでいろいろなことを思い出して過ごしています。キネマやクリスマス会や、強くなるための転生のターン、そしてウシノシタ団の復活…考えると鳥肌が立つ。強くなって帰ってきてくれた、これで終わらせて下さる。ぶうさんが強いと私は嬉しいのです。

 

えんそくと出会って、逃げ道というか抜け道というか、マリオカートの隠しルートのようなものを教えてくれたように思う。心が軽くなってこんな世界があったんだって本当に救われた思いがした。私はえんそくやぶうさんを知れたということだけでもう本当に生まれた意味があったなと思っていて、知らずにしんでいったらと考えるとこわいくらい。

 

初めてヘドバンをしたときのことや、壇上でゴードンを諦めていた日にぶうさんの言葉を聴いて回りたいなと思って渦の中に落ちるように足を踏み出したときの感覚をよく覚えています。そんな感覚がライブの中ではいくつもあって、ぶうさんが強いとその感覚が何度もあって、それが嬉しいということだけいつも感じていて。先日のブロマガを読んでぶうさんが「死」を与えているというお話をされていてあの感覚がうれしい理由ははこれだったのかあと思いました。

 

私はこうして同じような誰かがどうか一人でも多く救われてほしいと思う、なんて書くと宗教的だけれども本気で。(とある作家の方に感想をお伝えした際に宗教的に感じさせてしまったなあとか)

 

それと同時に、いろいろとよくないのだけど心配してしまったりすることもあるのです。私にとって一番いいもので、最優先で、救いなので、分かる人にだけ分かってほしいと思ってしまって。(何様だ。)

だけども分かる人を増やしていこうとされているように思えるので大丈夫だなあとへらへらしています。その分かるようにしたい人のターゲット(というより必然的にそうなってしまう)が日常にたのしいことばかりじゃない人とおっしゃっていたことがいいなと思った。

 「次の話」についても考えていて、青い炎はきっと赤より強い色なのでとてもとても楽しみにしている。会場でも掛かっていたように宇宙大天使土曜日やブルーハーツや、そんな曲たちがイメージされて、それがダークパワーのような赤よりも強いのなら素敵だと思う

 

一周回って目指していたはずのこの地点に帰ってきた訳で、続けてくださってありがとうございますということが言いたい。あの時豚様が自分だけ「悪者」になろうとされたこと(盲目と言われてもなんでもいいです)、それでも続けようとされたこと、全部全部報われますように。ニコ生で脱退当時について語る際に配慮というかやさしさが感じられてとてもうれしかったな。私はゴリラの丘がとても好きです。

 

 

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ライブや音源の感想を書けよと自分でも思う。すきなものの話をしていたい。


だけどどうにもぐるぐるしてしまって良くないのでここにまとめておこうと思います。きたないものなのでこれは特に読まなくていいものです


私は空っぽで、ぼんやりと生きている。楽しくお話をしていても次の瞬間には頭が真っ白になって黙り込んでしまうとか、つまらなさそうな表情をしていると思われることもきっとよくある。

昔から集団に馴染めない。嫌いとか憎いとかそういった感情がある訳ではないのになぜだろう。一部の人達にそんなに何も考えないのは何故?と思うことは少しある。「喋りかければ喋る喋らない子」としてただ教室の隅にいた。
本当にたまに、科学館に行く課題を一緒にやろうと言われて出かけたりロッカーの前などでお話したり、みんな私がしなないように気を遣ってくれていたのかもしれないなあなんて思うのは自意識過剰かもしれない。

幼いころの無邪気に声が気持ち悪いとよく言われたことが原因だろうか、いつも声がうまく出せない。ちょうどいい高さや大きさが分からずいつも喉や胸のところがくるしい。無理やり喋ると変な感じになる。表情も固く泣きそうな顔をしている。何か言葉を返さなければと言いたくないことをつい言ってしまう。

最近思い当たる症状があり場面緘黙について調べて、私はこれかもしれないし違うかもしれないなあと思った。調べてどうにかなるものでもないし病院に行くこともしんどい。

そういえばはじめましての方とは喋れたりする。これが自分でも本当に気持ち悪くて大嫌い。何度も会っている人を大切にしたいのにまっさらなことほど安心することはなくて本当にだめで、あの方にもはじめましてが好きですとか訳のわからない手紙を出してしまった。

(一度だけインストの撮影で「はじめましてー!」と大声で言われたことがある。お友達があの気にしていろいろ慰めてくれたけど私はむしろぽかぽかしていた。きっと私の思い上がりだろうと思うけれども。これはご本人にしか分からないことだし訊こうとも思わない。変なお手紙を出すのはやめよう。)

そんなことがたくさんあって、ぼんやりと絶望していてしにたかった。一生治らないと思ったし社会に出て生きていくことは無理だろうと思った。
一日でも休めばきっと行けなくなるから毎日毎日学校に行った。毎日しにたくて、期限があればがんばれると高校を皆勤して卒業したらしのうと思っていた。

高校2年のとき、ある大人しい女の子が某エアーバンドについてしっているかと声を掛けてくれた。彼らがブレイクを果たす少し前のことであった。何年か前からしってるよと返すと嬉しそうにしてくれた。

次の年の夏、その子が私と同じ話題に反応したツイートを見かけた。しばらく迷った末、「よかったらそれ一緒に行かない?」とめずらしくリプライを送った。それが七日間戦争だった。

1月、全てがひっくり返ってしまった。私だけが間違っていて自分だけしんでしまいたいと思っていたのに、地下のステージの上でヘンテコな格好をした「大人」が世界が間違っていると高らかに歌い、赤いマントを翻しのそのそと歩き回っていた。

「今地上で何かが起こっててライブが終わって外に出たらみんななくなってたらいいよね!ライブに来てた人だけが生き残るの。なんかさあ教室に不審者が入ってきて自分だけ生き残る妄想とかしなかった?あ、しなかった?」
くるくると表情を変え落語家のように喋りまくる。するとステージ袖からピーッと笛を吹かれる。喋りすぎているから曲に行けとの強制終了の合図なのだという。また吹かれちゃったよなんて笑って下を向き、カウントが入り顔を上げるともう戦闘モードなのである。

「後ろの人達ニコニコ笑ってくれてありがとう!嬉しいよ!だけどそれだけじゃそろそろ置いてっちゃうよ!!」
そのあと「何笑ってんだよ!!!」とも怒鳴り散らかしていた。これでも彼の(始まったばかりの)今年の抱負は「ピースフル」なのだという。なんだかめちゃくちゃだった。付いて行きたいと思った。ステージも見ずに首を振るという行為がそれまでどうしても理解できなかったのだけど、この日初めてヘドバンをした。

私が彼を好きなのは、劣等感による悪循環から思考を切り離してくれるからなのだと思う。
まさに山手線から中央線に乗り換えるが如く抜け道があることを、私は初めて知った。


彼は今も変わっていない。街に溢れる商戦を「意味のあるもの」へと変えてしまった。軸をしっかり持っていればどんな形に当てはめても大丈夫なのだということを感じた。
彼のモノサシがあれば、私が不安に思うことも大丈夫なのではないかなと思った。自分の軸を持てるのがきっと一番いいと思うけれど

そんな方がもうすぐあの丘に立つ。
「花が咲く約束の丘で待ち続けたあの頃のボクラはボクラに会う」、稔さんは何があっても見届けて下さいねと勝手に思っている。あの悔しそうな表情や小刻みに震える様子が目に焼き付いて離れない。彼は今笑えているのだろうか。もしその日ステージに乱入したってきっと誰も止めないと思う(してほしいとかそういう訳ではなく)
ゴリラの丘やマクマーフィーや色々な曲を私はよく考えて聴かなくてはいけない。


「皮」を被ってやり過ごしているのに、きっとそのための転生だったのに、表面だけを見て本気にされたらかなしい。分かる人だけ分かればいい。分かり合えなくなってしまったらかなしいけれどさようならだと思います。アタリマエを悪とすることを悪としたなら一緒にいるのはきっときついことだと思います。いつまでも一人同士で踊っていたかったな。だけどどこにいたって、笑えていたならそれでいいと思うのです。

世界で何を選ぶかはその人の自由で、選択肢はたくさんあって、私は一番正しいと思うから選んでここにいます。それが人によって違うことも当たり前だと思っています。選んだところで笑っていたらいいだけのことだと思います。
好きになれないものもあります。いいなと思うメンバーさんがいるのにある一人の人がステージ上から最前の人に汚いことを囁くのを聞いたこともあります(割と近い)黙っているのはすきなものの話をしていたいからです。

多くを感じられる方に出会えることは貴重なことだと思うから、どうかずっとその繊細さを大切にしていてほしいと思います

香菜、頭をよくしてあげよう


きっかけがあって、歌詞について考え込んでいた。

香菜は自分で大切にしたいことだけ細部までこだわって狭い範囲でゆっくり生きている女の子なのではないかなあ。なんとなくでは生きていけずに、そのくせ興味がないことに対しては無だったりして。

香菜の周りをたくさんの人がなんかすごい速さで駆け抜けていって、たまにすれ違うときに「まだそんなところにいるの?」「そんなこといちいち気にしてたら進まないよ」「何がしたいの?」「世界を知ろうとしないの?」そんな言葉が聞こえたり好奇な視線を感じたり。


「僕」もきっとそんな香菜と似ていて、だけど「僕」は世界をとうに諦めている。香菜はまだ世界を諦めることができていない。


香菜は自分が正しいかどうか確証を持てなくて、世界からずれてしまった私だけが間違っていてああ私は馬鹿だなあってそれを深刻に考えているのかいないのかぼんやり過ごすことしか出来なくて、
それを見ている「僕」はこっちおいでって「僕」の中の世界を信じていた頃の自分がかすかに揺さぶられながらも考えていて

リテイクの歌詞のようなことを伝えたくて映画を見せるのだけど、香菜には自分が興味のあることしか響かないから寝ちゃって、伝えたいことは届かなくて、少し孤独を感じたり。

それでも諦めないよって今度は図書館に連れて行くんだ、香菜が生きることに怯えないように頭をよくしてあげるために。


香菜はそれをしらないから、そんなに深く誰かに愛してもらえるなんて思っていないから、「ああ早く抱きしめてくれないかなあ」とか、きっと考えている。

惡道に死す 感想(曲別)

 

「ここがお前の死に場所だ!!」

語りで総統が帰ってきた…!と。来てくれたのね私のヒーローという気持ち(ヤバい)らーらーらーらーのところが「ここで合ったが百年目!!」のメロディーが不穏な雰囲気になっているみたいだった。中野やクリスマス会(茶番)的な朝礼感があった。でも今回は退散しないのでいいなあと思った。同じように対になるものがあるとしたらキャトルの「笑えないなら全て捨て悪道に死ね!」の台詞かなあと思って、それに加えて壊しに来てくれるような狂ったセカイと時計仕掛けの神様はいいなあと思った。初めて聴いたときに終わり方がラルクの何かに似ているなと思ったのだけどぴあのインタビューを読むとやはり何かのオマージュなのらしい。ラルクかは分からない…

 

合唱リーダー深沢

終始(「チコタン歌いましょ」の部分のような)かわいらしい曲調を想像していたのでドコドコしていてびっくりした。高校の教室を思い出した。強くいる努力を私は怠っていて、赤信号を渡っていく勇気はなかったなあと。一日でも休めば行けなくなると毎日毎日教室に行って誰とも話さずぼんやり過ごして帰った。透明人間みたいだった。話がずれた。曲調が少し狂い咲く春の始め方と似ているようでゴリラに行くのに違和感がなかった。チコタンもしんじゃう歌だなあと思った。

 

屠殺屋マン4号

4(死)に拘ったアルバムの4曲目 ということで楽しみにしていた。ゴリラまでのドコドコから少し気の抜けた感じ。歌詞はドロドロ。でもかわいい。私によく似た〜のところで怪人ラボと関わってくるなあと思った。「手作りのマスク」がとても好き。「玩具の王冠」と同義に捉えている。ハリボテ感というか、でも嘘でも信じたら本当なんだよ。だってでも大体のものも嘘だよねえ、お金だって価値を知らないどこかの国の先住民にとってはただの紙切れだし全部嘘だ!(極端)それなら信じたいものを信じていたいよね、私はえんそくがすきです。「おツムが邪魔で上手に笑い続けられなかった」の歌詞がいいなあ。

 

犬死にマクマーフィー

全体のところで触れたようなことを思った。大丈夫を噛み締めた曲です。カッコーの巣の上で、聴きながらあらすじを読むだけで色々考えてしまうので観てみたいです。「世界中へ」のところでロコ…!と思ってしまった。天外へ。 

 

怪人ラボの夜

好き…!上手く伝えられないのがもどかしいけどとても好き。白いテレビやデジデリオやブルーハーツや日々宇宙色や…いろいろな曲がふわふわと思い出されてきてとても切なくて好きです。一番のサビがとても切ないですね… 私が一人で無言でいた教室に教室を出れば長いこと話し込んじゃう男の子が一人いてその人のことを思い出した、元気かな。総統の中にはあの頃と変わってないボクがいて、でも「あの頃の君」と「今の君」ははっきりと分かれていて、それが切ないなあと思いました。君にどこか似たあの娘(集合体の構成員としての一人の「あの娘」)として受け取っていたいなあ。少しでも多く理解できたらいいのに。歌い方に関しては普段は心がこもっていたならそんな気にしないのだけど、意味があるところでしかずらさないのがやっぱり好きだなあと思いました。

 

月光病

行くところまで行った感…!月の光にやられてしまったのですか… いい意味で、とも言い切れないくらいにはトラウマで笑、こわいのにクセになる…(エレホラの転換曲に入れてほしい…)小さいころはじめてマザーグースの詩を読んだときの胸のざわめきと似ています。パラボナがパラボラアンテナのことだったら月みたいだなと思いました。「隠れウサギ様の園」も月なのかな?だとしたらアリスにも繋がるのかなとなんとか…!大人たちがただの月だと思っていたそれは実は発信機にすり替えられてて、エンコ詰められた(から小指の歌を想像したのですが、欠陥のある)子らに電波を送り続けてるのかななどと考えるともう止まらないです。きっとこの曲の全部を理解はできないし、暗闇や霧の中でもやもやしてるんだけどなんかある、よね…と必死に実態を見出すように、ぐるぐるとあれこれ考えながら聴いていくのだろうなあと。

 

そして計画は続く

川崎で一回だけ聴けたのですがもっと生で聴きこんで違いとか見つけたかった。あの日は声を掛けてもらって参加できたり忘れてしまってかなしかった歌詞を教えていただいたり恵まれた日だった。ギターが異聞!と思いました。再録の新世界でも思ったのですがすぐ異聞だと思い込む。異聞がとても好きです。重低音なところとか、りふりっちぽさがところどころにあるような気がしていいなあと思っています。三拍子の手拍子をしたくなるとことか。今日振付を見てにこにこした。軸を持ってるっていいな。それっぽいことをしてもそのままじゃないもん。「それなりやらせておけ」がとてもいい。色々言われて謝りたくないもないのに謝ったりとかもうどうにもならないとき、思考だけはだれにも渡さないからいいやとか中二なことを考えたりするのですがそれが間違ってないのかななどと感じたりしました。

 

キャトル

この曲もとてもとても好き。UFOのような音が入っているのがとてもいい。境目が宇宙なのがとてもすき。分子まで分解されて再構成されるあれ。 狂ったセカイと時計仕掛けの神様をはじめてきいたときの感情と似てるなあと思った。「とうに終わったじゃないの馬鹿」の歌い方がとても好き。あっ待って行く行くー!となる。笑 仄暗いものも歌ってくれるけどぶうさんは『底』にいる訳じゃなくてパラレルワールドからこっちこっちしてくれているイメージなのです。底で待ってくれているのは教祖さん…(そのままで「あたしの負けでいいです」「笑う練習を始めようと思うの」への転換というか、根本を変えなかったことが本当によかったと思っているる)駄目駄目なのですぐこうあたしかわいそうとでもいうようについぶくぶく沈んでいっちゃうのだけど(本当によくない)、あっそうだった私が行きたいのはそっちだった、と北極星みたい。指標です。「あんな世界でよくやってたよね」だとか、きっとマリオのように跳び出して上から見下ろしている感じがとてもいいなと思う。「やり方考えとくから」は自分でなんとかしていかなきゃいけないのはよくわかってるのだけどそう言ってもらえるだけで安心してしまいますね…!嘘だとか夢だとか言われますがそれでいいのだと思うのですよね。「家に返さない」って、カミュカフカと比べるとそれを言えるだけの強さを手にされたのかなあと。「笑えそうかな」は本当によすぎる。走れそうかなとリンクしてしまう。明るい曲なのに今は聴いているとうっすら泣けちゃったりして、でもたぶんライブでは楽しい感情でいっぱいになるのではないかなー。沖縄で聴いたら絶対たのしいのじゃないですか…!

 

 

とりあえず…!なんとか渋谷までに間に合わせたかったのでよかった。おやすみなさい

惡道に死す 感想(全体)

どこに上げるでもなくお手紙にする為でもなく書いていたのだけどせっかく書いたので。初めはPCで打っていたのだけど印刷して手書きで加えていったものを今度は携帯で手打ちしています(要領がわるい)

最近はとても駄目だったので籠ってひたすらに聴いて書きなぐっていた。好きなアルバムになりそうです。

 

まずは全体から。

アリスやモンスターズなど最近のコンセプトは「軸がしっかりあれば外側はどんな形に変えても大丈夫」なのかなということを私は感じ取っていたのだけれど今回はそれと反対とまで言っていいのかな、霞が全面に押し出されたような

あの子やその子に私は今回のアルバムを聴いて帰ってきてほしいと思うのだけど余計なお世話かなあと思いつつも、やはりこっそり思ってしまうのでした。ごめんね

帰ってきてくれたら私は嬉しい。ただね私は提示されたものを受け入れて肯定することでしか生きていけないのです空っぽなので…ツイッター遡るとそれについて考えていたりもするんだけど、違うなって思ったことが殆ど無いの。(他の人にはそれなりにあるのだけど。それは私にとって彼が神様で絶対だからだと思う(ヤバい)、因みに他の人については私の信仰する宗教ではないのでよっぽどのことでなければあれこれ言う資格なんてないので黙っています)だからこんなフィルター厚い私が言っても説得力ないと思うからねここに留めておくね。

 

全体的に強いなというのを思った。「たださみしいおじさんに戻る」から始まる怪人ラボの夜にさえ強さがあった。帰ってきてくれたから大丈夫だなあと思った。あの日の「ボクラは大丈夫です」の言葉がじわじわしてくる。

曲別の感想は新曲のみ書こうと思っていてゴリラは書かないからここに書くけどこの曲はあの方の歌だと思っていて、「置き去りにしてポッキリと折ってしまった」というあの方に「死んでしまっても蘇らせる」って、ねえ。泣いてしまうよ。マクマーフィーも彼を連想していいのかな、してしまっている。

「一人一人走って行こう」やり直しの根本はきっとここまで行かなくてはいけなかったんだ。でも私は今でも間違いではないと思っている。仲間だから手を離すよってすごく好きだよ。だからイーストの君の左手僕の右手などは言いたいことは理解できていたとは思うのだけどでもとてもとてもさみしかった。(前とか後とかの話は私は馬鹿なのでよく分からない…嫌だ…馬鹿は嫌だ…)

たぶん私はカミュカフカの世界観が好きで、それが色濃かった最初の7日間戦争にいつも戻りたがっている。まっさらな状態で目にしていたから今でも最上に思える説も否定できないけれども。だから、好きだったから変えてしまわれることはさみしい。

だけどハルマゲドンの最後辺りに「なんなら今のボクは誰かを引摺り回してどこまでも行けそうだ」とかそんなことを仰っていて、ハルマゲドンや転生で手にしたかった物はそれだったのかなって、だからそれはとても嬉しかった。その強さがほしかったのですね。

「ボクは死を乗り越えてみせた奇跡の人 出来ぬことはない」うっうっそこまで追い込んで大丈夫なのですかとか思ってしまうようええ気持ち悪いごめんなさい だけども相当の覚悟の詰まった歌詞だと私は思っている。あ駄洒落みたい

 

これはおまけだけど、ここまで考えてみて彼が帰ってくることはきっとないのだとやっと思えた。遅いね。ずっと帰ってきてほしかったの、だめだけど。あんなになるまで傷付いた彼はここに帰ってこないでどうやって生きていくのだと今の今まで本気で思っていた。最後のえんそくの語りが改変された時点で分かってたはずなのにねえ 私の知らないところで親友のようにいて下さったならいいなあ。これも余計なお世話なのだけど。でもそれが大丈夫かもしれないと思う箇所をハルマゲドンの中の小さなところで見つけたのできっと大丈夫だと勝手に思っている。

 

そうして手に入れた強さを持って、ずんずん進んで、歌詞カードがだんだん柵に近づいてきていて(連続写真の心霊現象みたいで気付いた時怖かった)目の前まで来たから今壊してるなんだなあと思った。

12まで行って戻るととてもよくて、ずっとぐるぐるしていられるなあと。めっちゃ壊しに来てくれてる。

 

諦めろ

 

久しぶりにここを開いて、過去の私の書いたものを眉をハの字にして見つめることができるくらいには回復したらしいです。相変わらずだけど。

 

あの時と比べて少しだけ安心して生きれるようになりました。私は行かなくなるのがよっぽどこわかったんだねえ。かなしいね、わかるわかる。

狂い咲く準備はいつだって抜かり無く。たまには隙間をついて抜け出す気でさえいる。こっそりね。

脱法な1年間とちょっとだったなあ…今はハム。

 

自分の作った枠の中で普通のふりをするだけでいいと思えてから少し楽。置かれたなら置かれたまま、じたばた足掻かずに、にこにこと。嘘でもいいからとりあえずにこにこ。そしたらきっといいことしかなかった。

普通になろうとしたところで馴染めないと思うのです。きっと何かが欠けているのはずっとよく分かってた。そんなの物心ついてからずっとだよ

 

僕の歯車は、そんなに上等ではないし、やっぱり歯がかけたりはしているけれど、君の歯車とぴったりと噛みあう。だからひっそりと、二人だけで一生、回り続けることにしませんか

教えて頂いた小説の、とても好きな箇所。

 

自分が正しいだとか世界が間違ってるとどうしても思えなくて、ごめんなさいごめんなさいと馬鹿みたいに生きていて、だけど誰かに生きていてほしいと願ったときに思ったことは、間違った世界にたった一人で押しつぶされてしまいませんように、だった。

生まれたんだから、誰だってしぬまで生きたっていいでしょ? ひとつひとつ丁寧に考えて生きている、「流れられない人」が大半の考えない人たちで出来た世界に押しつぶされてしまうことが許せない。そういう人が少しでも安心して街を歩けるといいのに。

おこがましいし重ねるなって感じなのだけど、豚様や豚様の神様が歌ってくれてることがやけにすとんと落ちたというか、あと「灯台下暗し」だからあの単語なのかもしれないな、ということもいまさらながら思ったり。

ご自分を救うことはないってこういうことなのかもしれないな。

私はなにも照らすことができないけど、誰かを押しつぶしてしまう世界憎い!って思った瞬間、あっこれ初めて思ったなと思ったのでした。(思ったがいっぱい)

上手く書けないけど、あとから見て思い出せたらそれでいいよ。

 

それから、やんわり好きだった方が1月で音楽活動をやめてしまった。

2014年の漆黒で見て、とにかく世界観が好きで、壁にしかお客さんがいないようなれっくすによく通っていた。(れっくすはアルコールの特別メニューもピックで交換できるのでとても良い)

園児さん(当時)も対バンでいい意味で結構ざわつかれていたイメージだったのだけど、お見かけすることはなかったな。

去年解散してしまわれたのだけど、1年間活休を挟むということはやはり大きいのだろうか、それから名前を変えてしまわれたことで…と思うのだけど、今更という感じだし、しかも私が考えるべきことではない…

とにかく、もっと見ていたかったなあ。

 

哀愁のような妖しさのような刹那のような素敵な歌を歌う人だった。

人見知りだしコミュ障だけど、

と、ステージの上から伝えてくださっていた。そういうのを知ったのは後半だったけど、気付かぬうちに似たものを感じていたのかどうか…

 

enskともまた対バン被ってほしかったな。始動し始めたキラキラした方達との対バンが多かったのでもっと多くのちゃんと見るバンギャさんに見てほしかったという気持ち…(そこは擬態すらしないような人もいる世界だった。もちろんそんな人ばかりではなく見た目は怖いのに地味な私にもすごく優しかったお姉さんもいて、そういう方ってバンドも「ちゃんと見ている」もので。)

 

バンドでもセッション活動でも、物販で自由に話せるようにして下さっていたのだけど一度も直接話すことは出来なかった。
最後にこっそりお伝えしたら、文字上ではあるけどやっぱりお優しくて素敵な方で、ああ間違ってなかったな、と思った。本当に勿体無い。なんていちファンのエゴだけれど…

 

これからもどうか、幸福的に過ごされますように。

 

「少女は幸福的な気持ちでライブハウスを後にするのでした。」

 

この世界観に今も随分と救われているよ。

暴れだして!


夏に、「ボク自身を救うことはない」という言葉をそうなのかあと、当たり前かもしれないことに意外さを感じながら辿ったのを覚えています。

 

自分で作ったものでは、というのは分かる気がするのだけどあまりにも泣ける曲や歌詞が多すぎて。豚様を救うような曲ができたらいいなとあれから思っていて(余計なお世話かもしないけれども誰にでも「そんな夜」があるならばどんな人にも、豚様にも救いがあるべきじゃないのかなあと)、そんなことが起きたのかもしれないとほくほくとあたたかい感情。

 

豚様が猛獣使いで、第三者のモンスターに暴れだして!と言っているのかな?と思っていたのだけど(ボクが育てていた、と言ってたしね。イガトラの具現化のようなものなのでは、と受け取っていた)

 

ただ、育てていたのが豚様のなかであったなら豚様は豚様をほぼモンスター側として描いていたから、それで逆の効果に驚いた、ということなのかな。馬鹿だからちょっと分からない。

(こんなこと考えているとだいぶ頭が痛くなってくるし、でもやめたくないんだなあ。人より理解が遅いからよく考えなくっちゃいけない。答えなんかないのかもしれないけど)

 


目を閉じて寝た振りの悪い子は意識的にか潜在的にか実はモンスターになりたくって、モンスターの方は誰かどうにかしてよって吠えるしかないそんな時があって、ここで相互作用が成立しているのかなあと

 

 豚様の言いたいことはそうではなくて

豚様→モンスター役

イイコ→子ども役

だったものが

 

豚様→子ども役

イイコ→モンスター役

になっちゃうことがある。つまり救う救われるの関係が逆転しちゃうことだってあるのだってことなのかなと思う。

モンスターの一部にわたしもなれたらいいのになあ

正しい世界の終わり方

 

「こんなこと言っちゃだめだよ」

そうだ、そうだった。表に出しちゃいけないもの

どうにかのほほんとやり過ごすんだった。いつから出来なくなったんだろう

 

 

あたしどうせ暗いから、なんて言われたら相手はそうなのかって思っちゃうじゃん。

他人にどう思われたいの?暗いって思われたい訳じゃないでしょう。そんなこと言っちゃだめだよ

嘘でもいいからそういうのはやめなよ。

Twitterやブログはやってる?マイナスなことばかり書いてない?嘘でもいいから楽しいことだけ書いてみなよ

 

 

馬鹿なフリをして逃げ回ってたくせに「あたし分かってない訳じゃない!」ってひとりで散々暴れた挙句勝手に疲れちゃって、こんなの自爆じゃないか。

嘘でもいいからやり過ごすことはもうこわくない。代わりに歌ってくれる悪い人がいるんだもん

 

だからさ、私もちゃんと最後まで笑えるかもしれない。

学校にナイフを持った不審者が現れたら

 

 

まっすぐ私だけ刺してほしい。

不審者を倒すのでもなく、不審者がクラスメート達を殺して1人だけ生き残るのでもなく。

 

うまく生きれないから、誰かが終わらせてくれたなら少しだけほっとすると思う。不謹慎と言われてしまうかもしれないけれど事故とか病気とか、何か起こるなら私に起こってくれたらいいのに。

 

「生きたくても生きれない人もいるんだよ」

生きたくなくてもしねない私はどうしたらいい?

 

生きたくない。しにたいとは少しだけ違っていて透明人間になりたい。どうせ死ぬ勇気がないだけだと思うけど。

生き物はしなないようにプログラミングされてるって沙子ちゃんも言ってたね。あのときやあのときにしんでしまえばよかったものをずるずるずるずる。汚い。

 

「もう死ぬの待ってるの?」「どうせ終わっちまうならリセットしてもいいことはない」

 

「本当はない」その場しのぎだとしても、すがって必死に手を伸ばすよ。だって本当に笑えてるんだもん。

 

全てのものに実体がなくて誰かが勝手に意味付けをしているだけなのだから、意味付けくらい自由にしてにこにこしていたい。

 

私は馬鹿で空っぽで意味付けが上手く出来ないから、あの方の意味付けに心酔して今日も付いていきます。しねない私が生きていける魔法を教えてくれるのは豚様だけです。